7月30日に7thアルバム『東京女子流』をリリースした東京女子流。今年度末、2026年3月31日のラストライブをもって解散することが決定している彼女たちにとって、ラストアルバムとなる今作。ここに至る15年間で、彼女たちはどのような思いを持って進んできたのかを、マネージャーでもあり今作のディレクターも担当しているウツミさんとともに振り返っていただき、ラストアルバム制作過程、そして解散までの決意も語っていただきました!
「初期の曲は、今の年齢になっても歌えるように作られていたんだなって感動します」(中江)
──今回は東京女子流のマネージャー兼ディレクターを担当するウツミさんを交えたインタビューということで、女子流の歴史の振り返りを一緒にできたらと思っています。まず、ウツミさんは女子流に対してどういう印象をもたれていましたか。
ウツミ 以前に担当していた某アーティストと一緒に現場に向かってるときに車で流れていたのが東京女子流で、「このアルバム、めちゃくちゃカッコいいんだよ」って。それがきっかけで、カッコいい曲を歌う子たちだという予備知識はありました。自分の中にあったアイドル像とはちょっと違う印象でしたね。その後、「water lily ~睡蓮~」から担当させていただくようになったんですけど、これは2017年の曲なので、今年でもう8年ぐらいになりますね。もっと厳密に言うと、実際に担当することになったのは、渋谷であったライブを観に行かせていただいたときで、当時の担当者がメンバーに「次の担当はこいつだ!」って(笑)。しかも、その日のライブがけっこう衝撃で。
──どういう意味の衝撃ですか?
ウツミ けっこうハードなライブだったんですよ。パフォーマンスも熱量もすごくて、多分、酸素がかなり薄くなってたんでしょうね。ステージ袖にはけてきたときにメンバーが過呼吸になってて、でもすぐに復活して、またステージに出て行くっていう。その姿を見て、「すげえ……」と思ったし、「これ、自分に担当できるかな……」と少し思いました。これまでそういう経験がなかったので。
──メンバーもそのときのことは覚えていますか。
山邊未夢 覚えてます。私が過呼吸になっちゃったんですけど、確かに酸素は薄かったです。でも、当時は過呼吸になるのは当たり前で、そのときもスタッフさんやメンバーが助けてくれたのを覚えてます。あと、そのときにウツミさんが着てた服も覚えてます。なんか、世界地図みたいな上着を着てました(笑)。
ウツミ 確かに持ってる……(笑)。
──あはは! 先ほどウツミさんがおっしゃっていたように、東京女子流は音楽的なレベルが高い上に、その高い水準をこれまでずっとキープしてきています。ただ、当時は年齢非公開でしたけど、デビュー当時はメンバー全員かなり若かったですよね。女子流のある種大人な音楽性についてどう考えていましたか。
中江友梨 今言ってくださったように、初期の私たちにとってはすごく背伸びをした、大人の恋愛ソングもありました。理解できない部分がすごくあったので、スタッフさんとかに聞いたりしながら必死に解釈して歌っていましたね。今思うと、この年齢になっても歌えるようにつくられていたんだなってすごく感動します。
──今のほうが歌っていてしっくりくるところはありそうですね。
山邊 そうですね。当時は歌詞の意味が全然わからなくて。しかも、レコーディングも初めてだったので、渡された歌詞を持って一人でブースに入って、「はい、じゃあここを歌ってみようか」って言われても、「今、どんな状況なんだろう? 何してるんだろう?」って。そもそも自分がCDを出すなんて思ってなくて。
新井ひとみ 私は元々、2006年にモデル志望でエイベックスに入って、そこから4年くらいの間、土日はオーディションのために東京に来て、また戻って学校に行って……という生活をしていたんです。だから、歌って踊るグループに自分が入るなんて思ってなかったし、CDを出したり、人前で歌うなんて思ってもなくて。なので、もう全部が新しくて、常に刺激に溢れてました。
──「CDを出すとは思ってなかった」というのは、全員共通した感覚だったんですか。
中江 いや、デビュー自体は決まっていたんですけど、(新井)ひとみが言ったように、モデル志望だったり、ダンスをやってたり、お芝居のレッスンを受けてたり、それぞれ境遇が全然違ったんですよ。しかも、歌って踊るというのはみんな経験がなくて。だからデビュー前は、先輩方の曲をカバーするために曲を覚えて、歌割りをもらって……っていう毎日で、当時は合宿みたいな感覚で、とにかくがむしゃらでした。
──そのときどきで様々な音楽的なチャレンジをしてきたとはいえ、ガールズグループが15年もの間、音楽的な方向性を大きく変えずに、質の高さを保ったまま活動を続けられるというのは非常に稀有なことだと思います。当事者としてはどう感じていますか?
ウツミ 僕よりも以前に女子流を担当されていた方たちが、すでにいろんな挑戦をしてくださってたんですよね。でも、一貫して“筋”みたいなものが通っていて。それは流行とかじゃなくて、1年後、10年後、100年後でも聴き続けられる音楽ということなんですよ。それを僕の中では「グッドミュージック」と勝手に呼んでるんですけど、ジャンルが変わっても「このメロディー、いいよね」ってずっと思えるような音楽を作り続けてるなって。そういう土台があったので、僕としてはすごくやりやすかったです。「グッドミュージックを作ることができれば、どんな方向に進んでも大丈夫」という感覚でしたね。
──たとえ挑戦的な曲を出したとしても、ちゃんと「東京女子流」になる。
ウツミ それはやっぱり、4人の歌声や振る舞いとかのすべてが東京女子流を作っているからなんだと思います。
「メンバーの好みは違うのに、『女子流をどうするか』という意見は一致するんです」(庄司)
──メンバーとしては、最初の頃は渡された曲をただ歌って踊っていただけだと思うんですけど、キャリアを重ねるにつれて自我が芽生えてきただろうし、「自分たちはこう在りたい」という気持ちも強くなっていったのだろうと想像します。そういう想いをスタッフの方にぶつけたり、話し合ったりすることも増えたのではないですか。
庄司芽生 ウツミさんが担当になってからは、ディスカッションする時間をより多く与えてもらえるようになった印象があります。それまでは、どの曲を歌うのか全部スタッフさんが決めてくださっていたんですけど、ウツミさんになってからは曲選考の場に立ち会わせてもらったり、タイトルについての話し合いをメンバーみんなでできるようになったり、そういう機会をたくさん与えてくださったことで、「東京女子流をどういうグループにしていきたいか」「どういうグループでありたいか」ということを考える時間が増えました。そういうことを積み重ねていくうちに、自分たちの中で東京女子流のあるべき姿が少しずつ明確になっていった気がします。
──それはウツミさんの狙いでもあったんでしょうか。
ウツミ もちろん、過去の担当のやり方を受け継いでいる部分でもあるんですけど、僕としては、4人には「表現者」「クリエイター」であってほしいとずっと思っていて。作品に強い意思を持っていてほしかったんですよね。でも、そのためには制作に関わる事が欠かせないと思っていたので、それは意識的にやってました。まあ、ときには強引に進めちゃうこともあるんですけど。
──そのやり方が上手く機能したと。
ウツミ 今回のアルバム『東京女子流』のサウンドプロデューサーにきなみうみさんを起用したのは、メンバーの意見がきっかけで。正直、メンバーが何も言わなかったら、僕はベテランの作家さんにお願いして、自分の好きなものをつくろうとしちゃってたんじゃないかと思います。でも、きなみさんはメンバーと同じ世代で、古い音楽もめちゃくちゃ詳しい。それでいて、若いエッセンスがアレンジにもしっかり詰まっていて、それが4人の感覚にすごくハマったんだと思います。
──今回、きなみさんを起用したのはメンバーの総意だったんですか? それとも誰かが率先して言い出したんでしょうか。
山邊 全員の意見ですね。初めてきなみさんとご一緒したのは前作『ノクターナル』に収録されている「Viva La 恋心」と「コーナーカット・メモリーズ」で、そのときに「今、私たちが届けたい音楽はこれだ!」ってなってみんなで話し合って、「今、お願いするなら絶対、きなみさんしかいないよね」ということになりました。
──きなみさんにお願いしたいという想いはどうやって強くなっていったんですか。
庄司 『ノクターナル』のリリース後の活動はほとんど、ウツミさん、ライブ制作のスタッフさん、私たちメンバー4人だけの、三人四脚みたいな感じで。自分たち自身がしっかりと活動の軸を持っていないと東京女子流というグループの姿がどうなっていくかわからなくなるから、各々がしっかり自覚を持ってこのグループで活動していかなきゃっていう意識が芽生えたんです。そこからは、ビジュアルや音楽の方向性についてもメンバー同士で積極的に話し合うようになりました。不思議なのが、メンバー個人の好みは全然違うんですけど、「東京女子流としてどうあるべきか」という話になると、自然と意見が一致するんです。「これだよね」って。それをウツミさんに伝えて、ウツミさんもきっといろんな場所で板挟みになって大変だったこともあったと思うんですけど(笑)、なるべく私たちの気持ちを潰さないように尊重してくださいました。
──そういった経緯があったんですね。
庄司 『ノクターナル』を出したあと、しばらく新曲をリリースしていなかったんです。でもライブはずっと続いていくし、「このままでいいのかな、私たち……?」みたいな。やっぱり、新曲は出していきたいし、ライブでももっと新しいものを見せたいのに、それができないもどかしさがあって。だから、「じゃあ、私たちが動かなきゃだよね」ということになって、「どうにか新曲を出せませんか?」というところから始まって、「どういう曲がいい?」「ビジュアルはどうする?」という感じで話が進んでいった気がします。
──そのタイミングで、これまで漠然としていた東京女子流像を言語化して、はっきりと人に伝えていけるようになったんですね。
中江 うん、そうですね。
庄司 『ノクターナル』の存在はすごく大きかったと思います。あれは久しぶりのアルバムで、自分たちの年齢や表現がようやく合致してきたタイミングでもあって、いろんな方向を試して試してようやく「これだ!」って思えたんです。そこから「もっと追求したい」という気持ちが強くなったし、「これで終わりっていうのは違うかもね」ってはっきり見えたんです。今の自分たちをもっと深めていけば、ファンの皆さんの喜ぶ顔が見える──そんな未来が想像できたから、そこに重きを置いて頑張っていこうということになりました。
──そうやってキャリアを重ねていく中で、ウツミさんがメンバーの成長を感じる場面はたくさんあったと思います。何か例は挙げられますか?
ウツミ 最初はすごく引っ込み思案で。どのタイミングだったかは覚えていないんですけど、写真選びをしたときに、メンバーから「私たちが選んでいいんですか?」と言われたことがあって。僕としてはむしろ、これまで選んでなかったことに驚いて。それがいいとか悪いとかいう話ではないんですけど、自分たちで選ぶという経験がなかったら、「これがやりたいです」「こうしたほうがいいと思います」ということは言えなかったと思うんですよね。でも、今では自分たちの意見を言えるようになって、しかもその意見に責任も持てるようになってきたのを感じています。
「ライブのMCとかでも阿吽の呼吸が生まれて、キマるとすごく気持ちいいです」(新井)
──今の話を受けて、メンバー的に何か思うところはありますか?
新井 確かに、意見を言うようにはなってきたと思います。でもそれは、ウツミさんになってから、試しにお願いしてみたらOKが出て、「あ、言ってよかったんだ」という経験が重なったことも大きくて。
──なるほど。
新井 あと、気を遣っていたんですよ。それはウツミさんだけではなくて、メンバーに対しても。「こんなこと言ったら傷つけちゃうかな……?」って。でも今は、パフォーマンス面でも「こうしてみたら?」「このほうがいい気がするよ」みたいに意見を交わす機会が増えて、だいぶ変わってきたと思います。
──気を遣っていたというのは、4人全員ですか?
中江 うん、そうかもしれないですね。
ウツミ ……中江さんは、僕に対してはあんまり気を遣ってないですけどね(笑)。
──それはどういうことですか?(笑)
中江 私はけっこう、ウツミさんと意見がぶつかってたかもしれないです(笑)。私には私なりの意思があるから、「こういう気持ちがあるから理解してほしい」って思うし、ウツミさんも頑固だから「俺にはこういう考えがある」ってなるし。そこで「じゃあ、お互いの意思をすり合わせましょうよ」ってなるんですけど、「今はこっちのターンなんで話を聞いてください!」ってケンカみたいになることもあって(笑)。でも、話し合いのあとはスッキリするんですよね。そういう言い合いができるのは、仲がいいからだと思います。
──それは相手がウツミさんだからですか? それとも、自分が成長したことで明確な意見を持つようになったから?
中江 ウツミさんの前のマネージャーさんの頃から私はよく言い合いをしてました(笑)。わかってほしい気持ちが強いから、つい言っちゃうんですよね。でも、そうすることで相手も応えてくれるし、それが加速すると激しめのディスカッションになるっていう(笑)。
──それで結果としてポジティブな方向に転がっていくわけですよね。
中江 もちろんです。相手の意見もちゃんと飲み込むし。最初は感情的になっても、最終的には「理解しました」って落ち着くんですよ。だから、必要な衝突なんだと思います。(ウツミに向かって)ね?(笑)
ウツミ あ、はい(笑)。
──言わされてるじゃないですか(笑)。でも、すごくいい話だと思います。では、この長いキャリアの中で、メンバー同士で成長を感じるのはどういうところですか。
中江 メンバーそれぞれに対してはもちろんたくさんあるんですけど、女子流としての成長を特に感じるのはライブなんですよ。これまでに100曲以上の曲を歌って踊ってきた中で、いろんなミスとかアクシデントがたくさんあって。たとえば、歌詞を飛ばしちゃうとか、間違えちゃうとか。でも、そういうときに自分以外の誰かが必ずすぐさまフォローするんです。それは決して当たり前のことではないんですけど、女子流ではメンバー間の呼吸でスッと当たり前のように入ってくれるんですよ。たまにステージ上でびっくりしますもん、「あ、もうフォローに入ってくれてる」って。デビュー当時だったらパニックになってただろうなっていう場面でも今ならスッと入ったり、自分で解決したり、そういう対応力はそれぞれすごく鍛えられたと思います。
新井 ライブのMCとかでも、みんなの“間”の感覚が合ってきたと思います。「ここで行くよね?」「うん、だよね」みたいな阿吽の呼吸が生まれて、それが実際にキマるとすごく気持ちいいです。あと、15年も一緒に過ごしてきた中で、以前は気づけなかった一面がレコーディングとかライブで垣間見えることもあって。だから、「そんな歌い方するようになったんだ」とか、「あそこの動き、カッコいいね」とか、お互いに気づいたことを伝え合えるようになったし、そう言ってもらうことで自分でも「あ、ちょっと変わってきてるんだな」って思えるようになってきて。そうやってそれぞれがもつ「東京女子流をもっとよくしたい」という向上心が少しずつ強くなっているんだと思います。
「女子流のメンバーは“分身”。自分と同じぐらい大切だし、迷惑はかけられない」(山邊)
──みなさんは小学校高学年の頃からずっと一緒にいるわけじゃないですか。しかも現時点においては、15年という人生の半分以上のときを共に過ごしているわけで。その関係って言葉にするとどんなものなんでしょう? 家族でもないし、友達でもないし。
山邊 私が思うのは、自分の「分身」。
──分身、ですか。
山邊 日々、女子流として過ごしているので、生活において優先順位の一番にくるのが女子流なんですよね。たとえば、もし自分の身に事件とかが起こったとしたら、まず最初に考えるのは「あ、これは3人に迷惑かかるな」っていうことで、そう考えると、自分が3人いるような感覚に近いんです。ステージ上でも、自分ができないことは3人が補ってくれるし、4人で補い合うことでひとつの作品が完成するっていう感覚を持ち続けているので、そういう意味では、メンバーは自分の「分身」という表現が近いと思います。
──「分身」に迷惑はかけられないし、「分身」のために動く。
山邊 もちろん、自分の人生も大切なんですけど、それと同じくらい3人の人生も大切で。だからこそ、迷惑はかけられないって思いますし、一秒でも長く楽しく過ごしてほしい。笑顔でいてほしいし、悲しい顔は見たくない。なんかもう、自分のことより3人のことを考えてる時間のほうが長いかもしれないです。
──4人の関係性をそばで見ていて、ウツミさんはどう感じますか。
ウツミ いや、本当に今の話のとおりだと思います。でも、自分のことよりも3人のことを考えるというよりも、「3人=自分」なんですよね。だから、それが結果として自分のためになるし、全部自分に戻ってくる。
──世の中には様々な音楽グループがありますけど、メンバーのことを「分身」だと言い切れる人たちはなかなかいないと思います。
中江 外に出たときに女子流を背負ってるということは常に意識して行動しなきゃいけないという気持ちはずっとあるし、そういう意識と責任は全員もってると思います。
庄司 楽しいこともつらいこともたくさんあって、外から見てる人にはわからない変化もあると思うんですけど、そこには私たち自身にしかわかり合えない気持ちや経験があるんです。そうやって同じ時間と気持ちを共有してきたからこそ、「もうひとりの自分」「分身」っていう感覚になるんだと思います。
山邊 家族とは違うけど、友達でもない。前までは、「宝物のような存在です」って言ってたんですけど、それもあんまりしっくりこなくて。「戦友」も違うんですよね。私たち、本当に平和なんです。メンバー同士でぶつかることもないし、「こういうのどう?」「あ、いいじゃん、やってみようよ!」っていう感じで物事が決まっていくことが多くて。そういうふうに、仲がいいということがいろんなことに繋がってる気がします。あとは、女子流にいるからこそ強くなれる部分もあって。「みんなで行くぞ!」って戦闘態勢になれるのも自分ひとりじゃないからだし、みんなでいるからこそ輝けるっていうのもあるんですよね。
──そういう感覚を的確に表現できる言葉があればいいのにって思うけど、存在しないですよね。それって、この世の中でそういう関係性を構築できている人がほとんどいないからなんだと思います。だからこそ、言葉で表現しきない関係を築けている女子流は本当に素敵だと今の話を聞いていて思いました。
中江 確かに、自分にとって3人の代わりになる人はいないですからね、
「こんなすごい作品ができるとは思っていなかった、アルバム『東京女子流』」(ウツミ)
──深い関係性を築き上げた末につくり上げた今回のアルバム『東京女子流』ですが、解散が決定している中、どういう意識のもとでつくられたんでしょうか。
庄司 ウツミさんと話していく中で決まったことなんですけど、最後のアルバムではあるけど、「ドーン! これが最後です!」というものにはしたくなくて。ラストであり、集大成でもあるんだけど、「ここにきてまだ新しいことやるの!?」って思ってもらえるような、いい意味での驚きもある。なので、これまでやってきたように、今回も自然体でつくった感覚が強いです。
──ああ、そう言われてすごく腑に落ちました。確かに、「あくまでも今の自分たちがやりたいことはこれです」という空気が伝わってきます。その姿勢が今作をいいものにしているんだと思います。
ウツミ 自分で言うのもアレなんですけど、こんなにすごい作品ができるとは自分でも思ってなくて。最初は、これまでの延長線上にある作品を普通につくろうと思ってたんです。というのも、自分の経験的に、思い入れがある作品には勝てないだろうと。だから、ちょっとした諦めモードで制作を始めちゃってたところがあって、そのことをメンバーに話したら、すごく悔しそうに「そんな気持ちでつくってほしくないです……!」って言われて。
中江 めっちゃ言った!
──ウツミさんの言葉の真意をもう少し聞かせてもらえますか?
ウツミ 極端に言えば、デビューシングルで東京女子流を知った人にとっては、その曲がその人にとっての絶対的な一番なんですよ。だから、そういう人に向けて何をつくっても勝てるわけがない、みたいな。もちろん、今つくれるもので最高な作品にしようとは思っていたけど、「でも、それには勝てないよね」っていう。そうしたらメンバーから喝を入れられまして、「そんな気持ちでつくっちゃダメだ!」って。それでスイッチが入って、きなみさんとも散々やり取りをして、言い合いもして、その結果として生まれた曲にメンバーがすごいボーカルを乗せてくれて、結果としてちゃんと「最高傑作」「集大成」になったと思います。
──ウツミさんのおっしゃることも理解はできますけど、メンバーとしては悔しいですよね。
山邊 ウツミさんがそういうことを言ってるのを聞いて、4人で「ウツミさん、すごく諦めてない?」って話をしたんですよ。「弱気だよね」って。
庄司 「私たちはこんなにやる気で満ち溢れてるのに、なんでそんなに弱気なの!?」みたいな(笑)。
山邊 で、ミーティングのときに自分たちの想いをぶつける機会があって、泣きながら話をするメンバーもいたりして。
ウツミ 「諦める」というか……なんか、表現が難しいんですよね。
庄司 いや、言いたいことはすごくわかるんですよ。今となっては、こうやって15年経った今でも色褪せないデビュー曲を歌うことができてるし、当時はわからなかった楽曲のよさを今実感していて。幼いながらに背伸びした曲を歌っていたからこそ、そこに魅力を感じて集まってくれた人も多かったので、当時の無敵さは自分たちでも理解してるんです。今は、そういったことを全部理解したうえで「今の自分たちで最高のものを届けるためにはどうするか」ということが大切で。過去も大事だけど、今と向き合うことで新しいものをつくっていきたかったんですよね。ウツミさんの言いたいこともすごく理解できるんですよ。世間的にも、「昔の女子流のほうが」っていう声も多いし。でも、そこには負けたくなかったし、自分たちを自分たちで超えていきたかったし、ポジティブにやっていきたかったんです。
ウツミ 僕もこの作品をつくる過程で成長できました。
──制作前にそういうやりとりがあったからこそ、この内容になったということですね。
新井 これまでも、女子流のCDをつくるにあたっていろんな方が関わってくださったんですけど、今回は本当に全部ウツミさんがやってくれたので、ウツミさんがいなかったらこの作品は生まれなかったし、たくさんの愛をもってつくられた作品だと思います。もう、愛でしかない。そういうみんなの思いがたっぷり詰まっているので、今思うのは、これが全国に広く届いてほしいっていうことだけですね。
──解散が決まっている状態で制作する最後の作品でありながら、気持ちも手も一切抜かずに、これだけのものを生み出すことができたのは、みなさんのどんな想いによるものなんでしょうか。
中江 聴いてくれる人たちに、「ここからまた始まるの?」って期待を感じてほしかったんです。来年の3月31日で解散することは決まっているから、どうしても「最後」という言葉が浮き彫りになってしまうけど、そのせいで作品のよさが薄まってしまうのはすごくもったいないと思っていて。もちろん、みなさんへの感謝の気持ちはこもっているんですけど、「寂しい」というマイナスの気持ちだけで受け取ってほしくないんです。なので、このアルバムを聴いて、女子流への「期待」や「尊さ」を感じてもらえたら嬉しいです。全てが詰まってるアルバムだけど、それは「ラストだから」っていうだけではないんです。それ以上に、すごく女子流らしいアルバムだと思う。それに、「最後」っていう言葉もそんなにマイナスなことじゃないと思ってます。
──最後に、来年3月までどんな気持ちで駆け抜けるのか、みなさんそれぞれの想いを聞かせてください。
山邊 今までと変わらずに、1つ1つのステージを大切に、1曲1曲しっかり気持ちを込めて、全力で届けたいです。フェスでたまたま観てくれた人とか、「その瞬間でしか出会えない人」って、やっぱりいると思うんですよね。そういう方にも届くように、これまでと同じようにこれからも丁寧にライブパフォーマンスを届けていきたいですし、みなさんと過ごす1秒1秒を大切に紡いでいきたいと思っています。
新井 3月31日という日は決まっているし、見に来てくださる方にはいろんな感情があると思うんですけど、ライブは私たちとみんなが幸せになれる楽しい時間にしたいから、私たちも健康第一で誰ひとり欠けることなく、最後まで駆け抜けて、みんなに幸せを届けたいです。なので、ぜひライブに来て、一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。
中江 来年の3月31日まで……実感は意外とまだ湧かないけど、あっという間に来てしまうんだろうなって思っています。だから、それまでにできるだけ多くのみんなに会いたい。まだ受け止めきれてない人もいるだろうし、まっすぐ向き合ってくれてる人もいると思う。どんな気持ちでもいいから、女子流のライブを受け止めに来てほしいです。まだまだ新しい出会いにも期待したいし、女子流は女子流らしく、3月31日まで駆け抜けて、みんなの心に残る存在でいられるように全力で届けていきたいです。
庄司 今の時代って、「やりたい」という気持ちだけじゃ活動できないことも多いけど、こうやって15年も続けてこられたのは、応援してくださるみなさんのおかげだし、今、こうやって目の前にいてくださるスタッフのみなさんのおかげでもあると思ってます。本当にたくさんの人の力をお借りしながら紡いできた15年なので、そこにしっかり感謝しながら、東京女子流というグループを愛してくれたみんなの気持ちも背負って、最後まで大切に駆け抜けて、やり切りたいと思います。ぜひ最後までよろしくお願いします。
──では、ウツミさんからもひと言お願いします。
ウツミ ……僕はそんな4人を最後まで応援していきます!
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ライター
阿刀“DA”大志
1975年東京都生まれ。学生時代、アメリカ留学中にHi-STANDARDのメンバーと出会ったことが縁で1999年にPIZZA OF DEATH RECORDSに入社。現在は、フリーランスとしてBRAHMAN/OAU/the LOW-ATUSのPRや音楽ライターなど雑多に活動中。Twitter:@DA_chang