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【mikah】音楽とは日記のようなもの。その日その日を大切に生きたい

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【mikah】音楽とは日記のようなもの。その日その日を大切に生きたい

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日本とアメリカにルーツをもち、日本をはじめ、中国、タイ、シンガポールなど世界を股にかけて活躍するmikah(ミカ)が、2nd EP『PRETTY LIES』を完成させた。ハワイで生まれ育ち、日本ではボーイズグループINTERSECTIONのメンバーとして活動していたこともある。現在は中国に拠点を移し、アイドルからクリエイティブなアーティストへと見事に変身。「本当の意味でのデビュー作だ」と語る新作『PRETTY LIES』について話を聞いた。

日本在住時によく行っていたサマーソニックのステージに立てて感無量!

──最新シングル「CHASING PARADISE」は、“楽園”がテーマ。このニューEP『PRETTY LIES』のタイトルも歌詞に出てきます。この曲を作ろうと思ったきっかけから教えてください。

mikah かなり早い段階から、楽園(PARADISE)をモチーフにEPを作りたいというアイデアは漠然とありました。実際、楽園について歌った「PARADISE」という曲を書いて、ハワイ出身の私にはピッタリじゃないかと思っていました。しかし、そこでもっと深い意味合いを持たせることはできないかと考えて作ったのがこの曲です。確かにハワイは楽園ですし、訪れた人はみんな口を揃えてそう言ってくれます。嬉しくはありますが、でも、ずっと住んでいた私にとっては、外から見たのとは違っています。楽園にも雨は降ります。そして成功して楽園を手に入れても、また次の楽園を追い求めることになります。そんな大きなテーマを歌っています。私の未来を示唆しているのでないかとも思われます。これまで直接的なラブソングを多く書いてきましたが、ラブソング以外の曲を書いたのは、これが初めて。これまで作った中で、最高の歌詞じゃないかと自負しています。幼い頃に想像していた人生と、今の自分を比べつつ、私自身の歩みを振り返っています。

──そんな人生観を抱いたのはいつ頃からですか?

mikah 大人になってからだと思います。ずっとボンヤリ思っていたのかもしれないですが、はっきりと自覚したのは、高校を卒業した頃。自分で自立して、何をしたいのか、どういう仕事をして、どうやって生計を立てるのか、というようなことを考えるようになった時期だと思います。18~19歳ぐらいですよね。もう子どもじゃないという年頃。若い頃はみんな将来何になりたいのか、何をすれば自分が満たされるか、というのを考えると思います。でも、その夢が叶っても、また次の夢を追いかけていると思うんです。次のゴールに向かって。でも、そのゴールはまた動く。ずっと楽園を追い求めるのが人生なのかなという…。

──そんなあなたが、現在求めているのは?

mikah 幸せですね。充実した人生を歩み、ハッピーでいること。家族や友人と共に、周囲の人々を大切にしたいと思います。朝、目が覚めてから、その日その日を大切に生きたいです。

──9月に発表されたシングル「MAYBE IT’S ME」は、これまでになくポップなサウンドでした。あえて意識されたのでしょうか?

mikah 狙ったというより、違うこと、実験的なことをやってみたいというのが頭の片隅にありました。クリエイティブ面に関して最高に良い、快適な状況だったので、少し冒険してみようかなと。自分の異なるカラーを引き出したいと考えました。でも売れるために、というわけではありません。自分に正直な音楽でなければ、あとで後悔することになります。他人の求める音楽を作ったのでは、なぜ自分が音楽を愛しているのかという大切な部分が壊れてしまいます。

──1stシングルにもピッタリですよね

mikah ポップでアップテンポで、このEPを紹介するのに相応しい曲ではないかと思い、リードシングルに選びました。これまで以上にポップなサウンドは新しい方向性でもあり、私の現時点を表しています。悲しい曲ですが、メロディがいい意味でポップなのも、この曲のポイントだと思います。ビジュアルを伴った方が、より上手くメッセージが伝わるのではないかと思い、ミュージックビデオも制作しました。

──ミュージックビデオは、どこで撮影を?

mikah ロサンゼルスで2日間掛けて撮影しました。すごく楽しい撮影でした。これといったコンセプトはありませんが、ビリー・アイリッシュやキッド・ラロイのMVを引き合いにしている部分も多々あります。ありきたりのMVにはしたくなかったし、SNSにも動画や写真を多く上げていますが、それらとは違った際立つ作品を作りたいと考えました。普通に顔を映したり、歌っているだけのありきたりなビデオではなく、色彩やビジュアルに自分らしさを投影し、実験的なものを作りたいと。だからアブストラクト的です。監督には、普通のMVとは違ったものにしたいとお願いしてありました。

──「UNDERNEATH THE SURFACE」は、8月のサマーソニック東京でもオープニングナンバーとして披露されました。この曲には、どのようなエピソードがありますか?

mikah このEPを制作するにあたって、多くの曲を書きましたが、最初に“これだ”と思ったのが、この曲でした。ファルセットと地声を駆使した私らしいナンバーだと思います。私がよく聴くプレイリストに、アメリカの女性R&Bシンガー、SZA(シザ)の楽曲が入っていて、彼女はまったく同じメロディを繰り返さない独自のスタイルを持っています。これまでのR&Bのスタイルに変革をもらたしました。そんな彼女の作品をイメージしながら作りました。普段は他のアーティストの影響をあまり受けずに曲作りをしていますが、この曲に関しては彼女に影響されたと言えると思います。

──サマーソニックでは、ソロになって初めて日本でステージに立ったわけですが、如何でしたか?

mikah これまでやってきたことが一周したかのような気分でした。サマーソニックは、日本に住んでいた頃、よく行ってたんです。ビーチステージでザ・チェインスモーカーズを、マリンステージでチャンス・ザ・ラッパーを観たのを覚えています。東京に住んでいた10代の頃は、友達と一緒に行くサマーソニックが夏の楽しみの一つでした。その同じステージに自分が立っている、しかもソロアーティストとして、というので感無量でした。

友人や家族、愛する人に囲まれてハッピーでいたい。

──中国、タイ、シンガポールなどでもパフォーマンスを披露されています。海外のファンは、何をきっかけにあなたを知っているのでしょう?

mikah タイと中国の人は、おそらくINTO1だと思います。日本のファンはやはりINTERSECTIONが多いですよね。中国のステージでは、いつも中国語でMCをやっているので、日本のステージでも、うっかり中国語が飛び出し、けっこう焦りました(笑)。

──「TOO HARD TO」という曲では、より生々しくダイレクトな感情表現が印象的です。

mikah 他の曲とあまり変わらないと思う人もいるかもしれませんが、個人的にはこれまでと最も異なっている曲です。キレイに歌おう、美しい声を出そうといったことを、まったく考えないで歌いました。胸の内を吐き出し、絶叫するかのような気持ちで歌っています。レコーディングでは異なるキーで繰り返し歌い、レイヤーを重ね、合唱隊のコーラスのようなサウンドを創造しました。ポップソングではあるけれど、他曲と比べて最もオルタナティブロック寄りではないかと思います。この少しとんがった感覚が、是非ともEPに欲しくて収録しました。

──その曲は例外かもしれませんが、多くの曲では、相手に何か伝えたいというよりも自己完結しているような、そんな印象を受けるのですが…。

mikah そもそも曲を書く動機が関係していると思います。私にとって音楽とは日記のようなもの。自分のために書くものです。私自身の過去が反映されていたり、私のアイデアが記されていたり。考えていることを紙に書くつもりで曲を作ります。誰かに読ませるためではなく、自分のために曲を書いています。

──毎日、日記を付けているのですか?

mikah 子どもの頃には。学校で10年間、毎朝書かされていたんです。だから私にとって自分の気持ちを書き留めておくのが自然なのだと思います。

──今の話を聞いて、とても納得しました。「MISS YOU」も、そのようなスタイルの曲ですよね。

mikah 自分のために書いた曲です。日記を書く時のような、ゆっくりしたテンポの曲です。他の人に聴かせるつもりで書いた曲ではなかったので、EPに収録されるとは思っていませんでした。最も完成までに長く掛かった曲ではないかと思います。普段なら曲を書くのに2日ほど、プロダクションを完成させるのに2週間ほどです。でも、この曲には数ヶ月かかりました。何度も書き直したり、歌い直したり、他の人に聴いてもらって感想を求めたり。でも結果、完成した作品には非常に満足しています。

──なぜそんなに時間がかかったのですか?

mikah 私の頭の中に、この曲の完成形の確かなイメージがあったからです。それを実現するのに時間がかかりました。一緒に制作してくれた友人たちも、この曲をとても気に入ってくれていて、彼らとは友人なので、何でも気軽に話しながら制作しました。EPのジャケットのデザインなども、友人と一緒に手掛けています。彼らも私と同じテイストや視点を持っているので私のことをよく理解したうえで進めてくれます。ビジネスパートナーではなく、正直に何でも語り合える友人です。

──話を伺っていると、全てのプロセスに自ら関わっているようですね。

mikah もちろん私の曲ですから。他人任せ、会社任せにすることはできません。特にこのEPは、私にとって本当の意味でのデビュー作だと思っています。1st EP『bleached』の時は、ソロになって初めてで、まだ学んでいる段階でした。日々のスケジュール管理やアルバム制作、リリースプラン、ビジュアルに関することなど、知らないことばかりでした。でも、そのおかげでこのEPがあり、自分の思うように制作できたと感じています。

──ファルセットなど多彩な声色を駆使したユニークな歌唱スタイルは、どのように生まれたのですか?

mikah 私は幼いころから歌を歌っていたわけではなく、日本に来て初めてボーカルレッスンを受けました。声の使い方や音の出し方を見つけるまでに、約5年は掛かったと思います。歌を学ぼうとする時、他人の歌い方の真似から入ります。でも、そこから自分らしい歌い方を見つけるまでには、かなり時間を要しました。私の声も時間と共に変化しましたし、そもそも自分をシンガーだとは思っていません。アーティストだとは自負していますが、生まれながらのシンガーではありません。生まれながらのシンガーとは、ビリー・アイリッシュやビヨンセのような人。彼女たちとは明らかに違っています(笑)。歌い方を学んだ人と、歌うために生まれてきた人との違いでしょうか。

──自分の声に合う歌い方をどのように見出していったのですか?

mikah 自分の歌を聴き返したり、なぜ上手く聴こえないのかを研究しました。最初は、大きな声で歌った時に、如何に耳障りにならず、上手くコントロールできるかが大切だと思っていました。でも、多くの人から、ソフトにエアリーに歌った時の私の声の方が良いと言われていることに気づきました。以来、ソフトな歌い方で上手く音程をキープしたり、違った音域でも上手くコントロールする方法を身に付け、次第に大きな声を出したり、声を絞り出したりできるようになりました。かなり苦労はしました。

──中国での人気は、どのように捉えていますか。なぜこれほど人気が出たと思われますか?

mikah 自分でもよくわからないのですが、運がよかったのではないかと(笑)。普段、私は高い声が出ないので、よくファルセットで歌っていました。ファルセットだと高音が出せるんですよね。で、中国に行ってわかったのが、中国語の曲はメロディがとても滑らかで、ファルセットを多用するんです。ちょうど私が歌っているようなスタイルが多くて、中国の人たちは、私がファルセットで歌うととても喜んでくれます。それも理由の一つかなと思います。

──モデル業やファッション界においても積極的に活動されています。

mikah 日本にいた頃からファッションは大好きで、いつかファッション界で働ければと思っていました。モデルというより、業界の裏側で作る方に興味がありました。最新のトレンド、今シーズンの新作でデザイナーたちが何を作るのか、常に注視してきました。そんな私がデザイナーの方々に直接会ったり、作品を見せてもらったり、作品を身に付け、彼らのブランドを体現するのは、夢のような体験です。カメラの前でどうポーズを取るのか、被写体として、自分をどう表現するのかなどもわかってきました。少しずつ自信も付いてきました。

──音楽やファッション以外で、現在興味をもっていることは?

mikah 雑誌に関して、いろいろと考えています。私が写真を撮られるのではなく、テーマを選んだり、スタイリングを手掛けたり、モデルを選び、ビジュアルを通してクリエイティブに表現したいと進めています。雑誌と協力して、ある月の編集を手掛けるような感じです。フランク・オーシャンがアルバム『Blond』を発表する直前に出したような雑誌になるかもしれません。

──ハイファッションとストリート系のどちらを?

mikah 両方少しずつ。日本にいた頃からストリート系の雑誌commons&senseやGRINDなどが大好きでした。もちろんi-Dも大好きです。すごく変わっていたり、違っているのがクールだと思います。そうした雑誌についても、もっと知りたいですし、創造性を発揮できるのではないかと思います。

──最後に、今後の目標を教えてもらえますか?

mikah 特に目標はないです。ただハッピーでいられたら。友人や家族に囲まれて。それが唯一の目標です。大きな野望は抱かず…。

──そうでしたね、EPのテーマもそれでした(笑)。

mikah アハハハ、愛する人に囲まれて、ハッピーでいたいと願っています。

撮影 長谷英史

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