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【野田愛実】それぞれの人生に寄り添って、お花のように彩りを飾れるような、そんな存在になれたら【フジテレビ系 10月期木曜劇場『わたしの宝物』主題歌】

野田愛実

【野田愛実】それぞれの人生に寄り添って、お花のように彩りを飾れるような、そんな存在になれたら【フジテレビ系 10月期木曜劇場『わたしの宝物』主題歌】

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10月31日に新曲「明日」をリリースした、野田愛実さん。この曲は10月17日からフジテレビ系 10月期木曜劇場『わたしの宝物』の主題歌にもなっていて、センセーショナルなドラマの内容とともに話題になっています。そんな野田さんに、楽曲のことや中国公演も含んだツアーのこと、これまでの道のりなど、いろいろと伺いました!

ドラマの主人公を出発点に、いろんな人の気持ちに寄り添った「明日」

──今回リリースされた「明日」はドラマ『わたしの宝物』の主題歌ということですが、最初からドラマありきで制作が始まった感じですか?

野田 はい、書き下ろしになります。オファーをいただいて、最初はプロットというか、「こういうお話ですよ」という概要をいただいて、神崎美羽という主人公の気持ちを代弁するような、寄り添える楽曲を作ってくださいと言われて作り始めました。そのお話をいただいた時に、もともと自分のストックとして持っていたデモ楽曲の中で、サビの最初が「明日」というワードで始まるものがあったんですよ。その「明日」っていう部分とそのメロディーが絶対にこの作品に合うなと思ったので、このフレーズは絶対に使いたいと。それをベースにメロディーをちょっと変えたりして、歌詞は「明日」以外全面的に変えたんですけど、そうやって作っていった感じですね。

──ドラマの内容がけっこうハードですよね。

野田 そうですね。「托卵」というのは難しいテーマで、もちろんその行為自体は肯定できることではないんですけど、自分がもしその立場になったらどうするんだろうとか、主人公の美羽がどういう気持ちで決意をしたのかという、その覚悟、思いの強さに精一杯寄り添える形で書きたいなという思いで、制作しました。

──なるほど。「托卵」ってもともとはネットスラングなんですよね。

野田 あ、そうなんですね。私も「托卵」という言葉自体は、今回このドラマのお話をいただいた時に初めて聞きました。でも内容は、昔からドラマとかでもたまに出てきたりするお話だったりもしたので、「あ、そういう言葉で表されるんだな」というのは、けっこう驚きがありましたね。

──歌詞から受けるイメージとしては、主人公の美羽の、いろんなことがある中でもとにかく進んでいこうという意志が表現されているように感じます。

野田 そうですね。今回この歌詞を書く上で特に気をつけていたことは、綺麗事になってはいけないなということであったり、あとは逆に悲劇のヒロインぶってしまうような歌詞にはしたくないということだったんです。誰かを傷つけることになったとしても、自分にとって大切なものを守り抜くために覚悟を持つという思いを強く持って、制作しました。

──今、「もともとあった」ということを伺って「なるほど!」と思ったんですが、本当にサビの「明日」というフレーズが、特に力強くて印象に残りますよね。

野田 ありがとうございます。もともとは、最初のサビにだけ「明日」が出てくる形だったんですが、折り返しの部分、二度目のサビも楽曲の中で一番の掴みどころだったりもするので、ここでも「明日」というワードを使って、同じように掴めるような構成に、あとから変えていったりしました。

──今回のように、ドラマの内容やストーリーに沿っての作詞や制作、ご自身にとってやりやすいものだったんでしょうか?

野田 もともと子供の頃から、ドラマを見るのがすごく好きなんですよ。だから楽曲を作り始めた時も、ドラマのワンシーンを見てすごく自分が共感したり、いいなと思ったシーンを自分なりに膨らませていって書くことが多くて。なので、今回の主題歌というのは一つの夢でもありましたし、制作においてはけっこう私のスタイルに合っていたので、すごく楽しく制作できました。

──アーティストの方の場合、基本的に実体験からしか詞を作れないという方もいらっしゃったり、頭の中の妄想から作ることがほとんどという方もいらっしゃったりしますが……。

野田 私はある意味ミックスというか……もちろん、完全に実体験から書くこともあるんですけど、例えばドラマのワンシーンを見て書く時も、自分がちゃんと共感できる部分がないと書けないというか、そこからそのシーンにすごく共感して、自分なりの実体験も含めたストーリーを作っていくということが多いですね。

──ドラマなどからインスピレーションを受ける際に、ネガティブなものとポジティブなものだと、どちらの方が創作意欲が湧きますか?

野田 例えば今回の作品においては、テーマ的にはすごく難しい部分はあって、もちろん主人公の美羽に寄り添って書いてはいるんですが、このドラマの世界を離れていろんな方が聞いた時にも当てはまるような、そして自分自身にも当てはまるような曲にしていかなきゃいけないと思うんですよね。だから今回、この作品をいただいた時に最初に出た感情が、この「明日」って楽曲のAメロに出てくる「なぜ人は叶わなかった夢に執着してしまうのか」というフレーズだったんです。それを本当に一番最初に感じたんですけど、それはこのドラマの世界だけじゃなくて、誰しも必ずそう思う瞬間ってあるんじゃないかなって思って。私も夢だったり恋だったり、今まで生きてきた中でそういう思いをしたことはたくさんあって、その中でも私の中だと「音楽をやる」という夢に執着してきた先に今の私がいたりもするし、歌っていくという夢を守り抜くためなら、何だってできるし。覚悟を持って明日を生きていけるなという、そういう部分で自分が重ね合わせられるところを見つけて書いていくことが多いですね。

──ではどちらかというと、ポジティブな方が。

野田 そうですね。ネガティブな感情ももちろん私にもあるし、闇の部分、影の部分は必ずあるんですけど、ちゃんとそこに光を見出したいなという思いはいつも持っています。

──さて、10月17日からこの曲が主題歌のドラマ『わたしの宝物』が放映されていますよね。現実にテレビから流れてきているわけですが。

野田 ドラマの主題歌自体は、去年メジャーデビューさせていただいた「ロスタイム」という曲からやらせていただいているんですけど、今回初めてのGP帯(19時~23時)の主題歌ということで、しかもフジテレビの木曜10時「木曜劇場」は、私が小さい頃から見ていた作品がたくさんある枠でもあったので、その「木曜劇場」の作品の主題歌を歌えるんだといううれしさもすごくあったんですけど、やっぱりちょっと責任感も感じていて。すごく多くの方が見られる作品でもあるし、「明日」が流れてきた時に、「聴いてくださる皆さんがどんな風に反応してくれるんだろう?」って、ドキドキしながら視聴しました。

──この取材の時点ではもう第4話まで終わっていて、31日にはリリースもされていますが、反響はどんな感じですか?

野田 SNSとかをチェックしながら見てるんですけど、放送では毎回、すごく印象的なラストシーンのいいところで使っていただいているので、「回が進むごとに、主人公の美羽だけじゃなくて、周りの他の登場人物の気持ちにも当てはまって聞こえたりする」と言っていただける声もあって、それは私が今回制作した上で狙っていたところでもあったので、「まさに!」っていう反応をいただけて、すごくうれしかったです。それにやっぱり、今回はGP帯だからこそ、聴いていただける幅も広がったなというのは感じていますね。

スタートは演歌。2~3歳で「私は歌って生きていくんじゃないか」。

──今回、この「avex portal コラム」には初登場ということで、野田さんご自身のこともお聞きしたいと思います。そもそも、音楽とか歌との出会いはどういうところでしたか?

野田 小さい頃に、おじいちゃんが趣味で演歌を歌っていたんですけど、その影響で私も一緒に街のいろんなステージみたいなところで、一緒に着物を着て、演歌を歌ったりしてたんですよ。本当に2~3歳の頃からステージに立って、私の歌を聴いて喜んでくれる方がいるっていう感覚がすごく気持ちがよくて、「私はこういう風に歌って生きていくんじゃないか」って思ったのが、本当にその2~3歳の時で。そこからはもう、他のことには見向きもしないまま、歌うこと一本でやってきました。

──そうなんですか! そのきっかけになったおじいさんですが、もう「趣味」の範疇を超えてませんか(笑)。

野田 そうですね(笑)。ちょっとしたステージとかにもよく立ってましたし、あとNHKの『のど自慢』にも出てました。もちろんプロの歌手ではないんですけど、趣味よりはもうちょっと踏み込んだ感じでしたね。母も『のど自慢』には出たことがあったので、一緒に行ったりもしていました。

──そして最初は演歌だったんですね。

野田 はい、最初は坂本冬美さんの「夜桜お七」とかを歌ってました(笑)。その名残りは少しあって、ビブラートとか、もちろん演歌のビブラートではないんですけど、こぶしとかおじいちゃんがちっちゃい頃に教えてくれたものから、自分なりにちょっと変わっていったというのもありますね。

──演歌からポップスに移行したのは?

野田 小学生の時に宇多田ヒカルさんの音楽に触れて、子供ながらにすごく衝撃を受けまして、「こんな感じになれたらいいな」と思って、いろいろ歌ってましたね。

──YouTubeでやられていたカバーも、そのあたりからつながってきたんですか?

野田 私、野田愛実のやりたいことの原点はやっぱり「歌うこと」で、もちろん今はアーティストとして活動していて、楽曲を作ることもすごく楽しいんですが、コロナ禍になった時にいろんなライブとかができなくなって、いろいろリリースとかしていても、歌う機会がほとんどなくなったんですよね。そこで自分が何者か分からなくなったというか「これはアーティストと呼べるのだろうか? 歌手と呼べるのだろうか?」という感じで病んでしまった時に、何か発信をしなきゃと思って、その時に自分が本当にやりたかったこと、原点って何だろう?って思ったら、「歌声を届けることだ」と思って。って小さい頃に聴いてもらったあの感覚をずっと大切にしなきゃいけないという思いでカバー動画の投稿を始めました。

──オリジナルの曲を作るようになったのはいつ頃から?

野田 中学1年生の時ですね。最初は、当時通っていたボーカルスクールのスタッフの方に、歌が歌える子が何人か集められて、インストを渡されたんですね。「これに合わせて詞と曲を作ってきなさいって言われて。翌週、それを作ってきたのが私だけだったんですけど(笑)。ずっとアーティストになりたいって思いはあったんですけど、作ってはいなかったんですね。でもそこでようやく、「これがアーティストって言えるんじゃないか」と思って。最初はそのインストをいただいてやっていたんですけど、ピアノは小さい頃からやっていたので、ピアノで作曲を始めて、その後アコギも中1の時に始めたので、アコギでも作曲してっていう形で、どんどんどんどんいろんな曲を増やしていきました。

──これまで、だいたい何曲ぐらい作ってきたんですか?

野田 形になってないものも、もちろんありますけど……300曲ぐらいは作ってきたんじゃないかなと思います。

スタッフ いや、もっとあるよ。自分と出会った後だけでも、300ぐらいあるから。

野田 あ、そうですね。もっとあるかもしれない(笑)。500曲ぐらいはあるかもしれません。

──しかし中1から作詞・作曲するって……。

野田 早いですよね(笑)。私は三重県出身なんですが、地元には曲を作ってる子はいませんでしたね(笑)。

──ですよね(笑)。最初の頃から、先ほど言われていたようにドラマから題材を取ったりしていたんですか?

野田 そうですね。中1の頃とかだと、人生経験とかもない状態なので、完全に妄想で書いたり、あとは友達との思い出を書いたりとか。恋愛の曲とかだと、完全にドラマの受け売りでした(笑)。恋愛ドラマとかもすごく大好きだったので、書いてましたね。

これからも世界中、いろんなところに歌声を届けに行きたい!

──そういうところからスタートして、昨年、メジャーデビューに至ったわけですよね。メジャーデビューからここまでは、自分ではいかがですか?

野田 まずメジャーデビューするまでがすごく長かったというのもあるんですけど、昨年7月に「ロスタイム」という楽曲をリリースさせていただいて、その準備期間から含めて、今まで書いてきた楽曲からはまた一つステップが上がったのを感じた1年でもありますね。ありがたいことに、メジャーデビューしてからは全部の楽曲にドラマ主題歌のタイアップをいただいたりもしたので、聴いてもらえる幅、年齢層もすごく広がったなと思います。野田愛実として楽曲を作っていく上で、「いろんな人の人生に寄り添っていきたい」というのが大きなテーマとしてあるので、それが自分らしくやれた1年だったなと思います。

──だからこそなのか、楽曲のスタイルというか、受ける印象がすごく一貫している感じがします。そういう面で意識されていることは?

野田 ありがとうございます。いろんな楽曲を書いてきて、いろんな経験をしてきた中で、今が一番自分らしくいられているというか、等身大で曲を書けているなというのを感じていますね。私はどちらかというと、「ついてこい!」みたいにみんなを引っ張っていくというようなタイプではないんですけど、世の中はそういう人の方が多いって思っていて。そういうリーダーシップがあるタイプの人ばっかりじゃなくて、むしろついていく側の人が多いと思うんですけど、だからこそ同じ目線で考えることができるなと思っているので、そういう人たちの、それぞれの人生にそっと寄り添って、お花のように彩りを飾れるような、そんな存在になれたらなと思って作っています。

──ライブ活動に関してはいかがですか?

野田 今、初めてのツアーの真っ最中なんですけど、ツアーという形で同じライブを何回もやるということ自体が初めてなんですよ。もちろん今まで通り、1回1回を「今日しかない」と思って精一杯やってるんですけど、「次の公演ではこうしてみようかな」という感じでブラッシュアップしたり、新しいチャレンジみたいなことを公演のたびにすることができて、1公演ごとに新たな気持ちで新しいチャレンジができるというのがすごく新鮮で、楽しくツアーをやっています。

──しかも、その初ツアーの中に、中国とかが入っているというのもなかなか珍しいですよね(笑)。

野田 はい(笑)。10月に中国で4公演させていただきました。これが初めてのツアーでもあり、初めてのアジアツアーということで、本当にありがたい経験をさせていただいたなと思います。これから先、「転機ってどこでしたか?」って聞かれたら、この中国公演が一つ挙げられるなと思えるぐらい、自分の中でパフォーマンスに対しての考えが変わった公演だったので。

──どんなふうに変わったんですか?

野田 まず、言葉が通じないところでライブをするということで、パフォーマンスの面でどう見せるかということを、より考えさせられた経験でしたね。中国の方たちは日本のオーディエンスとは反応とかも全然違っていて、とにかく熱気がすごくて。私はわりとバラードとかが多いんですけど、バラードを歌い終わった後でも「フゥー!」みたいな感じで(笑)。すごく大きく、体全体で反応してくださるので、私も「こういうパフォーマンス、こういう目線の使い方をしたら喜んでくれるんだな」とか、逆に「これはそこまで反応ないな」とか(笑)、そういう反応をすごく分かりやすく、リアルタイムで受け取ることができたんですよ。

──それは得がたい体験ですね。

野田 やっぱり言葉が通じないからこそだなというのもあったりするんですけど、言葉が分からなくてもちゃんと伝わるものは伝わるし、音楽ってすごいなということを感じたライブでした。そういうところは、日本に帰ってきてから国内のライブでも生かせていて、昔から見てくださってるファンの方々が「今までと表情とか指先の使い方が違っていてビックリした」という感想を書いてくださっていて、一つステージがステップアップできたなと思える経験でした。

──11月29日の東京・SHIBUYA DIVE公演がツアーファイナルですね。

野田 はい。今回のツアーはキーボードと2人でやってるんですけど、ファイナルだけはバンド編成なんですよ。なので私も楽しみですし、来られる方も楽しみにしていただきたいです。

──今年ももう少しで終わろうかというところですが、この後、さらに来年はどうしていきたいですか?

野田 まずはこのツアーを経て、今、駆け足で成長してる最中なんですけど、来年もまたいろんなところにライブで歌声を届けに行きたいなと思っています。日本国内もいろんなところに行きたいですし、さらに世界を広げて、中国以外のアジア各国、そして世界のいろんなところで歌えたらいいなと思っています。そして最終的な夢として、街中のいろんなところで私の歌声が流れたらいいなというか……簡単に言葉で言ってしまうとちょっとアレなんですけど、国民的なアーティストになれたらうれしいなと思っているので、そこを目指して頑張っていきたいなと思っています。

撮影 堀内彩香

「明日」
2024.10.31デジタルリリース!

フジテレビ系 10月期木曜劇場『わたしの宝物』主題歌


フジテレビ系 10月期木曜劇場『わたしの宝物』

【公式HP】https://www.fujitv.co.jp/takaramono/

【公式X】https://x.com/takaramono_fuji

【公式Instagram】https://www.instagram.com/takaramono_fujitv

【公式TikTok】https://www.tiktok.com/@takaramono_fujitv



Noda Emi 1st TOUR 2024 “time”

<東京>

【日程】2024年11月29日(金)

【会場】SHIBUYA DIVE

【時間】開場 18:30/開演 19:00

【info】@-Information  https://supportform.jp/a-information

営業時間(平日10:00~17:00)

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記事情報

高崎計三

ライター

高崎計三

1970年2月20日、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。編集&ライター。仕事も音楽の趣味も雑食。著書に『蹴りたがる女子』『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)。