相川七瀬、デビュー30周年イヤー突入。その幕開けを告げるミニアルバム『SPARKLE』が完成した。今回のインタビューでは、光の集合体のような本作についてはもちろん、90年代から2020年代まで駆け抜けてきた30年間の音楽人生における変化や成長、そんな彼女から見た今の音楽シーン、そして「エンドロール」の先にある未来への展望についても語ってもらっているので、あらゆる時代の相川七瀬ファン&リスナーにご覧頂きたい。
さまざまな経験から「怖がらないで、今を精一杯生きたい。歌いたい。表現がしたい!」と強く思うようになりました。
──30周年おめでとうございます。30年間にもわたって音楽活動を続けてきた今、自分ではどんなアーティストになっているなと感じますか?
相川 ロック歌手という枠組みに縛られなくなったというか、ようやく表現が自由になったかなと思います。あくまでロックは自分の一部。織田哲郎さんに創って頂いた曲たちが自分を形成しているのは間違いないのだけど、織田さんのプロデュースを離れてから、織田さんが創ってくれた同じモノを時代感も含めて再び創ることはできない。ということを長い時間の中で理解し、昔の楽曲の力というものも30年経ったからこそ分かるようになった。結婚し、子供を産み、40代で大学生になったりとか、人生が変わっていく中で昔に縛られなくなった。なので、30代より40代からの音楽活動のほうが解放されたというか、楽しいんですよね。20代はデビューしてガムシャラだったからそれはそれで良かったと思うんですけど、40代になって自由になれた感じがします。
──過去の自分に縛られなくなったことで、自由に音楽を楽しめるようになったんでしょうね。
相川 あと、文化的な活動の影響も大きいと思います。対馬・種子島・岡山で共に行ってきている赤米神事を継承する活動も13年が経ちました。こちらの活動をしていく中で、歌手としてではない自分が確立されてきました。そこでは「夢見る少女じゃいられない」とか王道のモノとはまた違う音楽を求められるようになってきて。そういうもうひとつのフィールドができたことで「もっと素直に表現していいんだな」と思えるようになりました。こういった気づきのきっかけは、東日本大震災。あのとき「何の為に歌っているのか」ってとても考えたんですよ。コロナ禍の時期もそうでしたけど、日常が覆されてコミュニケーションを遮断されたとき「アーティストは繋がりがあって歌わせてもらっているんだ」とあらためて実感して。大きな震災もそうですけど、そういう未曾有の経験が積み重なって「今を精一杯生きたいな、歌いたいな。表現がしたいな!」と思うようになったんですよね。一度しかない自分の人生なんだから自分の為に好きな音楽を作りたいし、歌いたいし、それが結果的に人の為になっていくようなアーティストになっていきたいと思うようになりました。
──そこで迷いがなくなったんですね。
相川 そうですね。例えば、最近では静かな神社で歌うような曲を作ると「またそっちなんだ」とか「ロックじゃないんだ」とか言われたり、ロックを歌ったら歌ったで「昔の歌を超えられない」と言われたり(笑)でも、私の中でアップデートしている部分もあって、それを受け入れられないんであれば、受け入れてもらわなくても仕方がないと思えるようになったんです。それが怖くなくなった。20代後半から30代中盤ぐらいまでの「売れていた時代の相川七瀬らしい音楽を創らないといけない」という考えから解放されたんですよね。織田さんが創ってくれた世界観を自分が創れるわけがないのに、常に過去のモノと比較する自分がいたんですが、それだけが自分じゃないよねと気付けたんです。
──ゆえに今がいちばん音楽を楽しめていると。
相川 自分が思ったものがメロディになる。それをできる状況が今は整っているので。一緒に音楽をつくれる仲間がまた少しずつ増えてきて、最終的には自分がプロデューサーとして自分をどうブランディングしていくか。そういうところに30年の月日がかかりましたが立てているので、音楽をやっててすごく楽しいんですよね。
──そんな90年代から2020年代まで駆け抜けてきた相川さんから見た今の音楽シーンって、どんな風に映っていたりしますか?
相川 90年代と比較すると、明らかに譜割りが変わったなって。ひとつの音符の中に物凄い言葉を入れるようになった。今は社会的にも情報量が多いから、音楽も自ずと情報量が多くなっている。私には子供がいますが、彼ら世代の好きな曲に常に興味があります。実際に、彼らがどんな音楽に反応しているかと言うと、情報がいっぱい詰まっているような曲ももちろんだけど、シンプルに物凄く良いメロディと良い歌詞の歌も好きなんですよね。普遍的な歌に今の若い世代も惹きつけられているから、根本的には変わらないんだなって思います。やっぱり日本人は心に響くメロディと言葉が好きなんですよね。
──今の話は日本人の洋楽離れにもリンクする話ですよね。以前はそれこそメロディの美しい楽曲が多かったけれど、今の海外の音楽トレンド的にはメロディよりトラックやリズムが重視されているじゃないですか。それは何も悪いことじゃないんだけど、多くの日本人には響いていないんだろうなって。
相川 日本人が好む音楽って、たぶん自分がコピーできるモノなんですよね。カラオケ文化もあって、口でコピーできる曲を自然と好むんだろうなって。欧米だとそれこそリズムとか身体的にコピーできるモノが好まれるんだけど、日本人は言語の民族だと思うから、言語的に自分の中に落ちてくるモノが好きなんだと勝手に思ったりしています。ゆえに歌詞を重要視して、それを口ずさむ。私は子供たちといろんなライブに行っているんですけど、私が何かの歌詞のフレーズに心打たれて泣いていると、近くで若い世代の人たちも同じように「良い歌詞だ……」って泣いていたりするんですよ(笑)。人生経験が違うから感じ方は違うと思うんですけど、そのひとつの同じ言葉に感動してるって素敵ですよね。
──では、相川さんもそういう音楽を追求していきたい?
相川 私は私の中にある言葉を出していきたいし、そのときそのときの「みんなに聴いてほしいな」と思うモノを世に放っていきたい。あと、最近のスタイルとしては、新曲を創って、まだそれをレコーディングしていない状態で、先にライブで披露しています。ライブの中で調整するというか、みんなに聴いてもらえる状況で歌いながら「この譜割りはこうしよう」とか「このフレーズは変えたほうがいい」とか「ここは声が出しにくいから変えよう」みたいな感じで調整していくんです。それで、ファンのみんなが「あの曲、いつ出すんですか?」みたいに時が熟した状態になってからレコーディングしているんですけど、みんなと一緒に曲を育てていくようなそのやり方がすごく良くて。
「私の主観でいきたい、私のサウンドにしたい」。30周年目にきて、今回初めてそう思えました。
──そうして育ててきた楽曲たちが、デビュー30周年イヤーの幕開けを告げるミニアルバム『SPARKLE』にも収録されていると思うんですけど、ご自身ではどんな作品に仕上がったなと感じていますか?
相川 織田さんと活動していた頃のコンセプトって、例えば恋愛の歌を書くにしても、男に文句がある女の子みたいな強気な女の子像(笑)。そういう世界観で歌っていたんですけど、今回の『SPARKLE』は完全に私が創った世界観というか、当時の相川七瀬像をアップデートしたモノになっていると思うんですよね。かつては陰と陽で言えば陰のイメージだったと思うんですけど、今回はその陰が極まって陽になっているというか。
──ポジティブなエネルギーに溢れた作品になっていますよね。
相川 誰かの頑張りを見て、その頑張りを自分の人生に置き換えて「私もがんばろう」と思う瞬間ってあるじゃないですか。これが今作のコンセプトでした。私も野球を応援していたりとか、大学の同級生が箱根駅伝で頑張っている姿を見たりとか、そういう場面ですごくエネルギーをもらってきたんですよね。私たちはそういうエネルギーの交換で生きているんだなと感じたんです。結局、誰かのエネルギーで生きている。自分ひとりでは生きていけないから、誰かの輝きももらいながら、人は自分も輝いていく。照らし合いながら相乗効果で大きくなっていく光の玉みたいだなって。今回はそれがテーマでした。
──例えば『tvkプロ野球中継 横浜DeNAベイスターズ熱烈LIVE』のテーマソング「Blue Star」は、ベイスターズを応援している中で受け止めたエネルギーから生まれていたりするんですか?
相川 去年はベイスターズの試合を観に行き過ぎていて、遠征も含めて30試合も観ちゃったんですよ(笑)。初遠征先は甲子園だったんですけど、レフト側のスタンドのいちばん後ろ、看板の前の席に座ったんです。で、今永投手の登板で「あ、ビジターで投げるってこういうことなんだ」と思って。ホーム側をすごく応援するような空気の中で、ひとりで向かっていかなきゃいけないような物凄い力と対面しているというか。勝ち負けのある世界での精神力というか、私たちの仕事なんかとは比較にならないものを背負っている姿を見て凄いなと。
あの試合は、9回までのスコアーは負けていて、ここで奇跡のようなホームランが起きないと逆転できない。でもそれが起きた。戦うのはみんな一人だけど、でも一人じゃない。必ず誰かが支えてくれる。私はあの球場でのシーンを見たときに「このシーンを全部込めた1曲書きたい!」と思ったんです。
──そうしたエネルギーの集合体が『SPARKLE』なんですね。
相川 そうですね。今作の制作はいろんなことがあって大変だったんですけど、自分の中で「やりきれた」感覚が強くて。今まではどちらかと言うとディレクターの意見を聞いたりとかして、客観性を持ちたいとすごく思っていたんですけど、今回は「客観性はいらないな」と思って。だから「こっちがいいよ」と言われても「私はこっちがいいから、こっちでいく」みたいな。そういう風に思えたのは、この30年間の中で初めてかもしれない。私は「音楽は聴いてくれる人たちがどう思うか。その視点がすごく大事だ」と思ってきたタイプだったので、わりとみんなの意見を取り入れて、その中間を取るみたいなことをやってきていたんですけど、30周年の今のタイミングに関しては「私の主観でいきたい。私の好きなサウンドにしたい」と思ったんですよね。それも大きなコンセプトかもしれない。
──そういう意味では、純度100%の自分を出しているというか。
相川 うん。だから、すごく気に入ってます!
──その『SPARKLE』の最後を飾る「エンドロール」。「歌うことも生きることさえも あとどれぐらい残されているんだろう」というフレーズからして、相川さんの人生を歌われていると思うんですけど、どんな想いや背景があって生まれた曲なんでしょう?
相川 来年で50歳になるし、年齢的なことで言うと人生の第3コーナーに差し掛かってきたところで(笑)、だんだん「え、あと10年で60歳なの?」「あと何年歌えるのかな?」「いつどうなるか分からない」と思うようになったんですよね。で、30周年で自分の中の時代みたいなものが移り変わろうとしている。自分の映画=人生は続いていくんだが、40代の10年間というものがひとつ終わる。その意識が「エンドロール」には反映されているんですけど、逆に「さぁ、50代から新しい自分になっていくぞ」とも思っているし、そういう意味では「はじまりの曲だな」という感覚もあるんです。なので、ひとまず壮大な10年間。或いは壮大な30年間を花火として打ち上げて。そして、それが終わったあと、新しい物語を紡いでいく。そんなイメージの1曲ですね。
──これまでの集大成でありながら、これからの音楽人生を歩んでいく為のセレモニー的な楽曲でもあるんですね。安心しました(笑)。
相川 辞めることはないです(笑)。30代は「もう続けていけないんじゃないか。このまま辞めちゃうことになるのかな」と思っていた時期もあったんですけど、25周年ライブを織田さんとやったときに「辞めるという選択は、もうないな」と思ったんです。そんなヴィジョンはないなって。そしたら、30周年でも織田さんと同じステージに立てることになった。なので、この次の周年までは、織田さんに頑張ってもらいたいなって(笑)。
──相川さんじゃなく織田さんの話になっているじゃないですか(笑)。
相川 私は大丈夫です(笑)。そう思えるぐらい、地に足がついたのかもしれないですね。生涯歌っていく覚悟が決まったんだと思います。だから、辞めません!
──今回『SPARKLE』を聴いて驚いたのは、30年も歌い続ければ普通は音域が狭くなったり、昔のように歌えなくなったりすると思うんですけど、相川さんの歌声は今も変わらずにスコーン!と突き抜けていく。そのうえで説得力や表現力は増しているから衝撃を受けました。
相川 ありがとうございます。ボーカリストとしての自分を守る為に運動は欠かさないようにはしていますね。例えば、すごく疲れていて寝ちゃいたいときも、最低限の運動はしてから寝るようにしていて。じゃないと、歌うときに力が出なくなっちゃうんですよね。なので、40代になってから本格的にすごく運動するようになって、その習慣が自分の中であって、それがやっぱり歌をすごく良くしている。その生活に合わせて食もぜんぶ変えちゃっているんで、太らなくもなったし。そういう意味では、いつでもライブをやれる体が整っている。で、ライブをしながらレコーディングするから良い歌声が録れるんです。
──そうなると、歌うのも楽しくなるし、音楽も楽しくなるし、辞めることなんて考えなくなる。
相川 そうそう。良いことだらけなんですよ。ただ、今いちばんの問題は、私は大学院に通っているので、学業に時間を多く使っているんですよね。そうなると睡眠を削らなきゃいけないので。そこは悩ましいなと思っています。
──それでも大学院に通い続けるのは何故なんでしょう?
相川 音楽以外にも楽しみを見つけちゃった感じで、すごく面白いんですよね。音楽だけでも楽しかったのに、もうひとつ「人生を懸けてもいい」と思うモノを見つけちゃったんです。そっちの世界でやっていることも、いずれ音楽にフィードバックしていくつもりなので、60歳とか65歳ぐらいにぜんぶが一緒になるのではと思っているんですよね。
──ちゃんと未来を見据えてのアクションであると。ブランディングもあったんでしょうけど、デビュー当時の刹那的に生きているイメージとは大きく変わりましたね(笑)。
相川 たしかにそうかもしれない(笑)。当時は、今を生きるのに精一杯だったんでしょうね。初めてのことばっかりで、それを乗り越えていくのに必死だった。そこから山あり谷ありで、谷も長かったけど、でも自分を人間として成長させてくれる時間だったし、それはそれですごく良い経験だったなと思います。だからこそ、今こうして自由に音楽を楽しめているし、自分が面白いと思うことをできているわけで。
──では、最後に、30周年の作品や活動に注目してほしい皆さんへメッセージをお願いします。
相川 旧譜も新しく書いている曲も全部を合わせた、相川七瀬の世界みたいなものを改めて皆さんに聴いてもらいたいし、観てもらいたい。そういうエネルギーに今すごく溢れています。ライブに来てくれたら楽しませる自信もあるので、どこかでぜひ観に来てもらえたらなと思います!
撮影 堀内綾香
『SPARKLE』
2024.11.06 ON SALE
【相川七瀬 OFFICIAL WEBSITE】
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【相川七瀬 X】
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【相川七瀬 YouTube】
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ライター
平賀哲雄
インタビュアー、ライター、MC、コメンテーター。1999年に音楽情報WEBサイト「hotexpress」を立ち上げ、2012年より「Billboard JAPAN.com」の編集長として活動。現在は様々なメディアで活躍している。ジャンルレスにこれまで1000組以上のアーティストを取材。小室哲哉、安室奈美恵、TM NETWORK、中島美嘉、倖田來未、大塚 愛、Do As Infinity、MINMI、モーニング娘。、BiS、BiSHなど様々なアーティストのイベントや番組の司会、解説も担当している。