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“泣き歌の貴公子” 林部智史が小学生とコラボ!? 熊本公演をレポート!

2019.04.10
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3月29日(金)、熊本・菊池市文化会館にて、林部智史のコンサート「はやしべさとし 三十歳の旅立ち ~叙情歌を道づれに~ 熊本編」が開催。アマチュア時代の「カラオケバトル」から頭角を現し、“泣き歌の貴公子”として人気を博す彼が、今回は何と地元の小学生とも共演? コンサートのリポートとインタビューをどうぞ!


そもそも「叙情歌」って何?

昨年9月から始まり、「なるべく本ツアーで行けないような場所を」ということでゆったりと全国を回っている林部智史の「叙情歌の旅」。そもそも叙情歌って? 入場時に配られたプログラム「お唄書き」には、「荒城の月」や「故郷」など、小学校時代に音楽の授業で習ったような歌が並んでいます。そうかと思えば、「青葉城恋唄」など、歌謡曲も入っていたりして。
 
そして、この「お唄書き」を見る限り、デビュー曲の「あいたい」など林部のオリジナル曲が入っていません。金曜日の午後に客席を埋め尽くしているのは女性客が大多数で、やはりほとんどが林部智史のファンの模様。みんな彼の“泣き歌”を期待しているっぽい雰囲気ですが、大丈夫なんでしょうか?



ステージには布が吊り下げられ、ピアノ1台が置かれただけのシンプルな構成。この「叙情歌の旅」には欠かせない追川礼章(通称・としくん)のピアノとともに、「お唄書き」のとおり「荒城の月」でスタート。「春を愛でる歌」と題された「早春賦」~「花」~「朧月夜」のメドレー、「四季の歌」まで一気に歌い上げると、透明感に溢れた伸びやかな歌声に聞き入っていた観客からは大きな拍手が起こりました。
 
とはいえ、やはり林部の通常のコンサートとはだいぶ違うノリ。でもそれに近いムードになったのが、『本日の調べ…熊本編』のコーナー。毎回、公演地にちなんだ曲を歌うところで(「選曲には苦労する」というご本人の説明つき)、「では熊本出身の村下孝蔵さんで、『初恋』を」との言葉に、大きな歓声が! 本ツアーでもカバーしているこの曲はファンにもおなじみとあって、手拍子も盛り上がります。
 

小学生たちの歌声に林部自身が「心が洗われる」



後半に入ると、ステージ下手には何本ものマイクが並べられ、制服姿の女子小学生たちが入場。「九州合唱コンクール」で7年連続最優秀賞獲得という輝かしい実績を持つ、山鹿小学校合唱部の子供たちです。今回の開催地、菊池市のお隣である山鹿市から、わざわざやって来てくれました。
 
28人の小学生たちと一緒に歌うコーナーの皮切りは、「この道」。曲が終わった後、林部自身が思わず言ったとおり「心が洗われるような歌声」です。やっぱり小学校での音楽の授業を思い出させます(当時、こんなにうまくは歌えなかったけど)。
 


続いては卒業シーズンということで「旅立ちの日に」、そして最後は観客も一緒になって「故郷」を合唱。やっぱりこういう曲はしみじみしますね。しかも子供たちの澄んだ歌声で聞くと、その思いもひとしおです。
 


再び一人になった林部は「上を向いて歩こう」を歌った後、『はやしべさとし、心おもむくままの叙情歌集』ということで「なごり雪」、坂本九の「心の瞳」、「千の風になって」を熱唱。そして岸洋子の「希望」を歌い上げて本編は終了。ああ、やっぱりオリジナル曲はないんですね……。



と思っていると当然のようにアンコールの拍手が鳴り響き、ほどなくしてステージに戻ってきた林部が口にした曲名は、「あいたい」。またも客席からは大きな歓声が。この公演では「叙情歌として」歌うとのこと。そして会場限定発売のアルバム「琴線歌~はやしべさとし叙情歌を道づれに~」にも収録されている、「あの頃のままに」で終了。「また本ツアーでお会いできれば」という言葉とともに、コンサートは幕を閉じました。
 
平成も間もなく終わろうかというこの時期に、オリジナルではなく昭和の歌を中心とした「叙情歌」で構成されたこのコンサート。ピアノと歌のみというシンプルな構成も相まって、飾り付けのない“歌”そのものの魅力を味わわせられるものでした。ところで、結局「叙情歌」とは……!? これは後から、ご本人に伺ってみましょう。
 
 
さて、コンサートでの大事な役目を終えて安堵した表情になっていた、山鹿小学校合唱部の28人の中から、部長の宮野紗帆さん、副部長の宮本琴菜さん、同じく副部長の中山新菜さんの3人に少し話を伺いました。
 


「うまく歌えましたか?」という質問には笑顔で「ハイ!」と声を揃えた3人。ちなみに公演前に林部と挨拶し、「カッコいい……」と思ったとのこと。部長の宮野さんは「少し緊張もしましたけど、うまく歌えたのでよかったと思います。一つ一つの言葉を響かせることに気をつけていました。終わった後は客席から林部さんを見て、やっぱり歌がすごいと思いました」と語ってくれました。
 
「貴重な体験になりました」という宮本さんは、「響きを落とさないように気をつけました。有名な方の歌声を生で聞いて、すごく声が響いていたので、真似したいなと思いました」。そして中山さんは「たくさんの人に聞いてもらっていい経験になったし、またこういう経験ができたらいいなと思いました。林部さんは一人でも堂々と歌っていて、すごいなと思いました」と、笑顔で話してくれました。
 
この日の体験を経て「歌手になってみたいと思いました」と語る子も多く、彼女たちにとっても、とても貴重な機会になったようです。
 
その後は楽屋を訪ねて、林部智史ご本人にインタビュー。歌い終えたばかりの声をどうぞ。


「『自分が叙情歌だと思えば叙情歌なんだ』でいいと思うんですよ」



──お疲れ様でした。コンサートを終えた今はどんなお気持ちですか?
 
林部 叙情歌ツアーは、普段の本ツアーに比べて盛り上がるかと言われたらそうでもないのかもしれないですけど、本ツアーにはない暖かさというものが残っていて、毎回終わったときは「いいコンサートができたなあ」と思うんですよね。特に今回は小学生の皆さんにも歌ってもらったので、いつもより盛り上がったんですけど。ファンの皆さんにとって、僕が叙情歌を歌っている姿というのは、いつもと若干違うと思うんです。でも今日、小学生の皆さんが「この道」とかを歌っているのを見て、僕自身が暖かい気持ちになったので、「お客さんも僕をこういう気持ちで見てくれているんじゃないかな」と思うきっかけになりましたね。
 
──コンサートの中でも話されていましたが、叙情歌を歌う旅に出るというきっかけになったのは、ラジオ番組がきっかけだったんでしょうか?
 
林部 いえ、「旅をしていこう」というのが最初で、そのためにラジオからスタートしようと。いきなりゼロから始めようというのではなく、まずラジオで流していただいて、ある程度知っていただいてからというのが理想だったので。
 
──このコンサートで歌われる「叙情歌」について、童謡もあれば歌謡曲もあり、広くとらえていますよね。あえて「叙情歌とはこういうもの」という定義はしていないように感じたんですが。
 
林部 そうですね。僕も調べたんですが、「叙情歌」って厳密には定義されてないんですよ。だからお客さんも、途中で「これが叙情歌なんだ」と思われても、最終的に「あ、自分が叙情歌だと思えば叙情歌なんだ」と思ってもらえればいいと思います。ただ個人的には、「聴いている方の琴線に触れる曲」「あの頃を懐かしめる曲」というのが「叙情歌」に近いのかなとは思っています。何年以上経った歌じゃないと、叙情歌とは言わないんだよ」という考えの人もいると思いますけど、定義自体はハッキリしてないので、僕なりの叙情歌の解釈もまた間違ってはいないと思っています。
 
──極端な話、今のヒット曲であっても叙情歌であり得るということですね。
 
林部 そう思います。だから僕は自分の曲である「あいたい」を今回、叙情歌として歌ってますし、僕はそうなればいいなと思ってるんです。今の曲でも、そういう風に叙情歌になり得るとは思っています。
 
──ただやはり、今日も1曲目が「荒城の月」であったり、童謡や唱歌、昭和の曲も多いですよね。林部さんのように若い世代の歌手としては、珍しい試みだと思うんですが。
 
林部 やはり皆さんがイメージとして持っている「叙情歌らしい曲」というのは押さえておかないといけないと思います。でも、デビュー曲の「あいたい」を出してちょっと知れ渡ってきた頃から、「『あいたい』を聞くと、五輪真弓さんの『恋人よ』を思い出すんだよね」とか、「ジェリー藤尾さんの『遠くへ行きたい』が思い浮かぶ」とか言われるんですよ。突き詰めていくと、そこから昔懐かしい叙情歌というところに行き着いたなと思いますね。
 
──ご自分の歌にもつながっているわけですね。本ツアーと、この叙情歌の旅では、歌い方を変えていますか?
 
林部 同じ声なのであまり気付かれてはいないかもしれないですが、歌い方はけっこう変えてますね。強弱をあまりつけてはいけない曲もありますし、逆に僕が選んだ「千の風になって」などは強弱をつけながら歌ってるんですけど、「荒城の月」などはそのまま歌うことで、それが逆に歌詞の解釈になっていくという世界もあるんですよね。だから原曲の良さを考えて、歌い方は変えています。あと、鼻濁音を意識して歌っています。
 
──伴奏がピアノ1台のみの中で表現するというのは、歌い手としては大変なものではないんですか?
 
林部 僕は逆に歌いやすいなと思っています。もちろんピアノの技術もあるんですが、2月・3月とオーケストラ伴奏のツアーをやってて、そっちの方がよっぽど大変でした(笑)。

──そういうものなんですね。
 
林部 たしかにピアノ1本のみで、息づかいまで聞こえるというのは善し悪しではあります。「息づかいまで伝わるわ」と思ってくださる方もいるんですが、こちらとしては油断できないんですよね。なので、この叙情歌の旅を始めてからは、鼻で吸うようになりました。美空ひばりさんは、「ブレス(息)の音を絶対にマイクに入れちゃいけない」という方だったんですが、叙情歌だと、それがすごく分かるんですよね。J-POPだと逆に息を入れていくんですけど。


「叙情歌に懐かしさを覚える世代の方々に、もっと来ていただきたいんです」



──この叙情歌の旅では、どんな反応が返ってくるとうれしいものですか?
 
林部 僕自身がうれしいのは、そこまで深く考えたことのなかった叙情歌を、僕の声で聞いて「改めて歌詞が聞こえてきた」という声がけっこうあることですね。叙情歌ってクラシックの方が歌われることが多いんですが、そちらではメロディを美しく美しく歌うことに主眼を置かれているんですよ。でも僕はJ-POPの歌手として、もちろん曲も重視はしてるんですけど、歌詞を重視したいところもあって。そういう部分で、「改めて歌詞が聞こえてくる」と言われると、僕がやっている意味というものがあるなと感じられますね。
 
──なるほど。
 
林部 あとは、うれしさとはちょっと違うんですが、「荒城の月」なんかは1901年の歌で、僕はもちろんリアルタイムじゃないし、正直、学校でも習ってないんですよね。ただ客席の皆さんは、僕よりもっと長く聞かれてきた方が多いと思うんです。そういう方たちから、「忘れていたけど、あの曲を聞いて『ああいうことがあったなあ』ということを思い出しました」という感想をいただいたりすると、僕が歌い手としてそこに立って、歌を伝えられているんだなあという実感が湧きますよね。自分の楽曲では、そういうことはないじゃないですか。何かを思い浮かべることはあるかもしれないけど、直接その歌に関わった当時を思い出せるということは、やっぱり懐かしい叙情歌ならではだと思うんですよね。
 
──歌が思い出の風景と直結しているということですね。
 
林部 でも歌い手の個性が強すぎたりすると、それも伝わらないと思うんですよ。「新しいものになってましたね」で終わると思うんです。それをあまりクセのない声で歌ってるからこそ、原曲の良さが伝わってるのかなという自信にはなっています。
 
──特に今日は、小学生の方々の声も加わって、さらに伝わった部分があったように感じました。
 
林部 そう思います。確かに、叙情歌を歌っていたのって子供の頃が多かったでしょうから、子供の声で聞くと思い出されることって多いんだろうなと思いました。僕自身もそうでしたし、「旅立ちの日に」を歌っていて、2番に入った瞬間に泣きそうになったんですけど、やっぱり“その声”で歌われると……というのが非常にあるなと思いました。
 
──小学校の音楽の授業なんかも思い出しました。さて、この3月には叙情歌を集めたアルバム『琴線歌~はやしべさとし叙情歌を道づれに~』が発売されましたね。
 
林部 コンサート会場限定での発売です。今は本ツアーと叙情歌ツアーを分けていたくて、最終的には僕自身が叙情歌を作れればいいなと思って活動しているんですが、「あいたい」のように分けられていないところもありますよね。それはそれで意味があるんですが、一応、本ツアーは「林部智史」、叙情歌の旅は「はやしべさとし」と表記も使い分けているんです。完全に分けるために、今は会場のみの販売とさせていただいています。いつか一つになればと思ってますけどね。
 
──この旅も含めて、これからの叙情歌との関わりをどう考えていますか?
 
林部 昨年の秋から旅を始めて、いろいろなところを回っているんですが、まだ始まったばかりですからね。今は「叙情歌の催しだから行こう」というよりも、林部智史のファンの方が来てくださっていると思うんですね。徐々にでも口コミで、「叙情歌のコンサートがあるらしいよ」という感じで広まっていってくれればいいなと思っていて。
 
──「叙情歌のコンサートがあるというから行ってみたら、林部智史だったよ!」みたいな。
 
林部 極端に言えば、そういうことですね(笑)。「お聞かせください」というアンケート用紙みたいなものをお配りしているんですが、「もっと林部さんの曲が聞きたかった」とか「高橋真梨子さんの『ごめんね』のカバーを聞きに来たのに」とかという声がまだまだ多いんですよ。それは本ツアーでやっていることですからね。だからもっと地道に、まずは叙情歌を長年聞いてこられた人たち、叙情歌に懐かしさを覚える人たちに来ていただきたいんです。「叙情歌」というのはそういった世代の方々を含めて、親・子・孫と3代で楽しんでいただけるものだと思うんですよね。そういう部分を広く伝えていくにはネットとかじゃなくて、地道に会場を回って全国を2周、3周としていく必要があると思ってます。
 
──「自分たちの町にコンサートが来た」という感じで。
 
林部 はい、だから本ツアーとは回り方が全然違うと思っていて。叙情歌なりの伝わり方というのを、自分の足を使って確かめていければいいなと思っています。
 
──そこまで、「叙情歌のために」と思われる情熱はどこから湧き上がるものなんでしょう?
 


林部 この叙情歌の旅がどういう形で皆さんに支持されていくのか、僕が叙情歌を歌うことで、お客さんがどのように変わっていくのか、最初は僕も分からなかったですからね。ただ、昨秋から始めた旅を通じて、少しずつ分かってきたことがあって……歌うからにはその歌の時代背景なども理解していないと、歌詞も伝わらないというのは、一緒だと思うんですよ。J-POPも叙情歌も。それは、僕はもともと歌詞の考察とかが好きなんですが、叙情歌の場合は時代背景などが絡んでくるものが多いので、より面白いですよね。そうすると、「ああ、この表現は面白いな」と思うんですけど、いざ最初にお客さんの前で歌うときには、どんな感じで伝わるのかが分からなくて。でも歌うと反響があるから、こちらもどんどん熱が入っていくという形で、それは相乗効果だと思います。反応があるからやっていけるんだと思っていて、その反応が本ツアーと叙情歌の旅では全く違うので、僕もやっていて面白いんだと思います。
 
 
「叙情歌の旅」はこれからも全国を回っていく予定ですが、5月7日には初めて東京で開催されることも発表されました。会場は東京オペラシティ コンサートホール。全国の方々は最寄りの地に訪れたとき、また東京での開催を心待ちにしていたファンの皆さんはこの東京公演で、叙情歌の優しい響きに触れてみてはいかがでしょうか。
 
撮影 池田 慎治



琴線歌 ~はやしべさとし 叙情歌を道づれに~
¥2,315(税抜)
 
※下記3ヶ所での“限定販売”となります。
・全国の日本生活協同組合(生協 共同購入/宅配カタログ上でのご案内)
・コンサート会場(「はやしべさとし 三十歳の旅立ち ~叙情歌を道づれに~」会場のみ)
・林部Family Official CD Shop(林部智史ファンクラブ会員様限定CD予約販売サイト) 
http://hayashibe-satoshi.com/news/20190212-n02.html
 
高崎計三
WRITTEN BY高崎計三
1970年2月20日、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。編集&ライター。仕事も音楽の趣味も雑食。著書に『蹴りたがる女子』『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)。

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