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【林部智史】無限の可能性を探るため、原点に返つてのカバーアルバム 「歌い手としての真価を一番問われる部分だった」

    林部智史

    【林部智史】無限の可能性を探るため、原点に返つてのカバーアルバム 「歌い手としての真価を一番問われる部分だった」

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      デビュー8周年となる今年を 「カバーイヤー」と銘打つて、 今年2枚目となるカバー アルバム 『カタリベ ~愛のエクラン~』をリリースした林部智史さん。今作では 「歌い手として、歌唱に徹した」という彼に、そのアルバム制作作業の中で思ったこと、 収録楽曲についてのことなど、じっくりとお聞きしました!

      2枚のカバーアルバム、『カタリベ2』と『カタリベ ~愛のエクラン~』の違いとは?

      ──カバーイヤーと打ち出した今年の、2枚目のカバーアルバムということになりますね。

      林部 はい、前回の『カタリベ2』の制作時から構想はありました。僕のコンサートに来てくださるお客さんの世代に合わせていくと、今までやってきたカバー曲たちが、すごく幅広くなったんですね。それを今年1年、カバーイヤーと銘打って、その中で出す1枚のカバーアルバムにどう入れようかなと考えたんですが、これは入りきらないだろうと。頑張って収めたとしても、世界観がバラバラになってしまうというところで、じゃあ2枚に分けようと。今年が8周年だったのと、僕の生まれ年である「1988年」の「8」にかけて88年以降のものと、それ以前のものという形で分けて作ろうという構想がありました。

      ──今作がその「88年以前」ということですね。前作のタイトルが『カタリベ2』で、今回は『カタリベ ~愛のエクラン~』。『カタリベ3』ではないんですね。

      林部 ここも非常に思いを込めた部分でもあるんですけれども、これのタイトルを『カタリベ3』にして、手に取ってもらって、その流れで『2』も『1』もとなった時に、これもまた世界観がガラッと変わってくるんですよね。今回は「88年以前」というコンセプトもあり、その他にも選曲の仕方など違う点があるので、そういったところでは特別な1枚という位置づけで、ナンバリングはしていません。

      ──「エクラン」という言葉はフランス語で「宝石箱」という意味と伺いました。

      林部 そうですね。今回のタイトルとしては「宝石箱」「輝き」という意味合いです。一つ、今年はパリオリンピックもございましたので、その2024年に出したというところも含めて、フランス語でという流れがありました。

      ──大変失礼なんですが、そういう要素も意識されるんですね(笑)。

      林部 ハハハ。ただ何というか……「エクラン」という言葉にすると、どういう意味か調べてくださる方がけっこう多いのかなという印象がありまして。

      ──意味合いとしては、各楽曲が宝石で、アルバムはそれを詰め込んだ「宝石箱」というイメージでしょうか?

      林部 今回は全曲を通じて、「女性の繊細な恋心」という大きなテーマがあります。なので、遠き日にどなたかに思いを寄せた、美しく輝いていたあの頃が詰まったエクランになればと、個人的には思っています。

      ──今作に収録されている楽曲の選曲については、どのように関わられているんですか?

      林部 『カタリベ』や『カタリベ2』は88年以降の楽曲でしたし、僕がよく聴き込んで、歌ってきた楽曲なども含めて選曲してきたんですが、今回は僕が生まれる前の時代というところで、僕との接点がまず一つないんですね。そして女性の繊細な恋心というところで、僕は男性ですし、そこの接点もないんです。なので、歌い手として向き合えるようにということで、選曲をあえてしなかったというところは、逆に本作の大きな特徴だと、僕は思っています。

      ──なるほど。今回特に、原曲のイメージに手を加えないストレートなカバーになっているような印象を受けました。

      林部 まさにその通りです。その時代に、逆に僕が聴けなかったからこそ、原曲のイメージ、あと世界観、そして聴いてくださる方が、その頃を思い馳せることができるようにと考えると、やはり原曲を崩しちゃいけないという思いは、僕のもともとカバーに関する考えでもあるんですけど、今回特に強かったですね。そこで一点、難しかった点といえば、昔の「この音が聞こえてきたらいいな」というサウンドは拾いながら、今回収録しているんですけども、なかなか再現ができないものがわりとあったんですね。懐かしい、古いからこそ、今だと音がすごくキレイになって、それを表現できない、哀愁をなかなか出せない。同じ音を作っているつもりでも、何か同じ音にならないという、そういう時代の違いについては、作っていて非常に歯がゆい部分も、正直感じました。

      ──そういう部分もありながら、原曲のサウンドをできるだけ再現する方向で拾っていったわけですね。歌唱についてはどう臨まれたんでしょうか?

      林部 今回の僕の歌唱の立ち位置は、歌い手としての真価を一番問われる部分だったかなと思っていて。僕が女性ごころを歌わせていただく上で、やはり主人公にはなりきれない、なっちゃいけないところもありますし、歌い方とか、この時代を思うという、歌に対する気持ちの面で、気持ちはものすごく込めるんですけども、逆に心を込めて歌うことはしないと。そう言うと、すごく冷たい感じがするんですけど、ただそこはもう、僕と共通点が薄いからこそ、難しい点なんですね。なので、僕の課題として今回は心を込めず、気持ちを入れて歌うというところは、全曲でポイントとなりました。

      ──ここまでのお話を伺って、少し理由が分かった気もするんですが、今作はほとんどの曲がしっとりとした、乱暴に言うと暗い曲が多いですよね。

      林部 そう思いますね。歌詞の世界観的にも、失った恋を歌っているものが非常に多いかなと思います。

      ──その中で7曲目の「よろしかったら」が唯一、アップテンポですが。以前のアルバムだと、「ここで山場を作って」というように流れを意識されたりということがあったと思うんですが。

      林部 そうですね。以前のアルバムは自分で選曲をしていたので、そういうところも考えていました。その点も含めて、今回は選曲はお任せして、あえてじぶんではやっていないので、決めてもらった12曲をポンと提示されて、そこからゼロで向き合ったという形にはなりました。確かに失った恋を描いている作品が多いので、そういった印象を受けるかもしれないですけど、ただ不思議と、やはりエクランなので、あの頃は輝いていたと思うんです。

      ──はい。

      林部 そういった意味合いを込めると、僕は正直、暗いという印象だけじゃないんじゃないかなと思うんです。今、コンサートでも歌っていて、皆さんのことを感じながら歌わせていただいていると、だからこそ輝いてるというところはあるのかなと感じています。

      ──では、決定した12曲全体に関しては、どういう印象を持たれましたか?

      林部 今年2枚、カバーアルバムを出させてもらっている中、やはり詞の世界観というところで、特にこの70年代から80年代を象徴するような情緒ある言葉たちが溢れてるのかなということを感じました。いろんな楽曲が本当に無限にある中で、もしかしたら、情緒ある言葉をあえて使わない歌とかもあるかもしれないんですけど、今回の楽曲たちに関しては情緒ある言葉、そして、女性の恋心というところを象徴する言葉というのも非常に多く散りばめられているなと感じました。そこは『カタリベ2』からの違いでもありますね。あとは男女間のあり方、「男性はこうあるべき」「女性はこうあるべき」、もしかしたら今から生まれる作品では、そういうことを描くこと、歌うことが難しくなったかもしれない。そういったものが描かれているので、僕としてはすごく新鮮でしたし、逆に僕の歌を聴きに来てくださっている方々っていうのは、その時代に生きていた曲を聴いてきた方々が多いので、そういったことに歌を通して触れることができるというのはすごくありがたく、歌に深く関われたなという印象があります。

      ──12曲の中では当時大ヒットした楽曲も多いですが、林部さんは全曲、元から知っていましたか?

      林部 いえ、全部は知らなかったですね。知っている楽曲もあれば、初見の楽曲も実際ありました。

      「歌い手として」各楽曲に対して感じていることとは?

      ──その収録曲の中から、歌っての印象やエピソードなどを伺えればと思うんですが。

      林部 2曲目の「夢一夜」は阿木燿子さんが書かれて南こうせつさんが歌われた曲ですね。阿木さんは僕に3曲、オリジナル曲を書いてくださっているんですが、時代を意識した言葉遣いというのは、今、僕に書いてくださる歌とは全く違うものがあるなということを、すごく感じましたね。「床に広がる絹の海」という言葉などは、当時は着物の時代だからこそですし。ただ昭和の名曲がたくさんある中で、時代を超えて今、僕に作ってくださってる歌との対比というのも、非常に面白いポイントでした。

      ──興味深いですね。

      林部 次の「花水仙」、八代亜紀さんの楽曲です。今年の頭ぐらいに、熊本の八千代座で、この歌を初めて歌わせてもらったんですけど、本当に美しく切ない、苦しくなるぐらいの女性ごころが描かれているんですよね。僕自身、八代亜紀さんには本当に優しくしていただいて、そんな思いももちろんありますけれども……ただ歌として、例えば「このゆかしさがお前に似てると」なんていう言葉があるんですけど、「ゆかしい」という言葉自体が、今はそんなに使われないですよね。「奥ゆかしい」という言葉は「知ってるけど、実際に自分の口から出たことはないな」みたいな。ただその「ゆかしさ」という言葉が、この時代の女性の象徴だなと、この曲を通して感じました。いじらしさだったり、そしてその後の「お前に似てると」という言葉の使い方というのは、逆に言うと、男性の考え方だったりするので、この1行自体がこのアルバムの中でも象徴的な1行になっているなと思います。

      ──他の曲についてはいかがですか?

      林部 他はですね、それぞれ初見の曲もあれば、コンサートで歌ってきた楽曲たちもありますね。「難破船」や「アドロ」は一昨年のツアーで歌いましたが、やはりツアーだと楽器も限られていたりするので、今回、CDという形にする時に、もう一度原曲への聴き込みをやり直しました。「少しは私に愛を下さい」は小椋佳さんに書いていただいた「ラピスラズリの涙」のカップリング曲に、小椋さんと一緒に歌わせていただいたバージョンが入っていて、それが今回、単独の歌唱になりました。

      これらの曲はやはり歌い手として、どう気持ちをコントロールするかというところは、ツアーでの歌とはかなり変わったポイントだと思いますね。それを今回携えて、今、ツアーをやっているんですけども、本番での自分の気持ちの入り方というのは毎回違ってくるものなので、それを今はちょっと楽しみながら、いい塩梅を探っているところですね。

      ──先ほど少し出た「よろしかったら」はいかがですか?

      林部 これこそ、今はなかなか作られないような歌なんじゃないかなと思いますね。これも阿木燿子さんで、たばこのCMの楽曲だったんですよね。この曲はアップテンポだからこそ、入っている楽器がけっこう多くて、「いろんな楽器がどういう感じで重なり合って入ってるんだろう」と考えた時に、「夢一夜」や「難破船」あたりと違って、やはりカバーしている方が少ない楽曲でもあったので、原曲を聴き込むしかなくて。でも、『カタリベ2』の時など、原曲でも分からないところをどうアプローチしようかというのは、意外と他の方のカバー聴いてみたりというのも今まであったんですよ。この曲はそれができなかった分、「でも何か違うんだよな……」みたいなことを言いながら作っていて、楽曲制作としては、けっこう難しかった曲ですかね。

      ──勢いで何とかなるものでもないと。

      林部 コンサートだったら勢いで行けるんですけどね。でもやっぱり形にして、イントロを聴いて、やっぱりそのCMの印象とかもあるでしょうし……と考えると、なるべく再現したいという思いはあったんですけど、アップテンポな曲ほど難しいんだなというのは、正直思いました。

      ──「アドロ」はグラシェラ・スサーナが日本語で歌ったバージョンのカバーですね。

      林部 この曲は、グラシェラ・スサーナさんが全編スペイン語で歌ったものもありますし、あとは全編日本語の楽曲もあるんですけれども、この時代に一番歌われていた訳詞というのがこれでしたね。そこには今回のアルバムとの向き合い方っていうところにも関わってくるんですが……原曲は2番のサビから最後までスペイン語なんですね。僕は最後の最後、日本語に戻ってきてるんですけど、実はこのバージョンをやらせてもらうのって、たぶん僕だけなんですよ。最初は原曲通りに、最後の部分もスペイン語でレコーディングしようとしていたんですね。今回のアルバムは原曲にできるだけ近い形でお届けしたいという狙いだったので。

      ──そういうお話でしたね。

      林部 そのはずだったんですけど、最後までスペイン語で歌うと、立ち位置が最後まで、ずっと「第三者」だったんですよ。歌い手として、遠き日に思いを馳せてほしいですけど、今、僕の歌を聴いて、輝いていたあの頃を思い出してもらうとなると、スペイン語じゃ難しいなと思ったんです。なので、ここを日本語に変えたことが、今回の僕の立ち位置を象徴するところなどでもあるのかなと。でも、全編日本語ではないんですというところも含めて。

      ──今までコンサートなどで歌っていた曲でも、今回、改めて向き合ってレコーディングされたわけですよね。その中での発見とか、気づいたことなどはありましたか?

      林部 僕はコンサートの中でカバー曲を非常に大事にしているという話を、前回のインタビューでもさせていただいているんですけど、そのカバー曲をどう皆さんに聴いてほしいかというところの考え方って、おのずと音作りに表れてくるなと思っていて。僕は88年以前の楽曲、その全てをこれまで原曲通りにカバーしているわけじゃないんですね。時にちょっとだけジャズを入れたりとかもしていて、そのコンサートでの聴かせ方というところに変えたりもしてるんですけど、やはり今回のコンセプトに関しては、「世界観を壊さない」というところが大きくて。だから、どう聴いてほしいかというところで、カバーの音作り……もしかしたらオリジナルにも通ずるところがあるんですけど、例えばここの部分を聴いてほしいとか、というところがかなり変わってくるなというのは、学びとしてありました。

      ──そこに、先ほど言われたように、再現するにしても時代が違う、みたいなところも関わってくるわけですね。

      林部 そうですね、ちょっと歯がゆいポイントでもありました。時代が進んで録音環境や機材も進化したからこそ、出せなくなった音や空気というものもあるんですよね。どうにかすれば方法があるだろうと思うんですけど、ないんですよ。

      充実のカバーイヤーを経て、来年の活動は……?

      ──しかもこの頃の原曲って、当時の皆さんは間違いなくレコードで聴いていたわけですよね。ラジオやテレビでなければ。そのあたりの変化も関わってくるのかなと。

      林部 ああ、あると思いますね。だから、どこまでキレイな音を録るかとか、あとはクリック(レコーディングの際、正確なリズムを保つためのガイド音)を使う・使わないというところも、時代によってけっこう分かれるんですね。例えば「夢一夜」では、原曲でもクリックを使ってるんですよ。でも「アドロ」とか、「どうぞこのまま」もそうかな、原曲ではクリックが計れないものがけっこうあったりして、ちょうどそんな時代のハザマだったのかなと思いますね。使う人は使う、使わない人は使わないというような、そんな曲たちでした。

      ──それは、「シンガー」と「シンガーソングライター」によっても違ったりするんですかね?

      林部 ああ、もしかしたら作る人で変わってくるのかなというのは、正直ありますね。僕もいまだにクリックを使う曲と使わない曲があったりするんですよ。ピアノバージョンとか叙情歌の活動はノークリックでやっていますし。だから歌い手と、あとは音楽イメージとかにもよるのかなというのは、今の僕から見ると感じますね。

      ──林部さんの場合、クリックを使うと「正確さ」に引っ張られてしまって、何か微妙な味みたいなものが損なわれるということはありますか?

      林部 ああ、そうですね。やっぱりコンサートでは使わなかったりしますし、今回も「アドロ」では使ってなかったりしますけど、一長一短はありますね。ノークリックだと、フラットに聴けなくなっちゃうというのも悪い点ではあるのかなと思っていて。勢いでいくというのは非常に大事ですけど、フラットだからこそ、聴き手は聴く時、その時その時に寄り添って聴けるというところもあると思うんですよね。勢いでいかれると、聴き手の自分がその時の気分に合わなかったりする時ってあると思うんですよ。だからクリックって、あえてフラットにするものなんだと思うんですよね。ただ歌い手の気持ちを出すには、クリックは全部取っ払った方がいいですけど。

      ──今回の楽曲との向き合いの中でも、「この人は使ってないんだな」と気付いたところもあった感じですか。

      林部 原曲を聞いている時には、それはかなり思いますよね。この曲は使ってる、使ってないと。同じ人でも他の曲では使ってたりしますし。その時の曲の聴かせ方とか、演奏のしやすさとかももちろんあると思うんですけど。その上で自分は使うのか使わないのかっていういうところは、そんなに議題には上がらないけれども、毎回決めなくちゃいけないところですよね。

      ──もしかして何十年とか経つと、「昔の林部智史っていう歌手も、この曲はクリック使ってるけど、こっちでは使ってないんだよね」みたいに言われる時が来るのかもしれないですね(笑)。

      林部 そう言われたらうれしいですね。それぐらい聴きこんでくれているということなので。再現しようとしないと、クリックには気付かないと思うんですよね。それかよっぽど、曲の中でテンポがメチャクチャ動いていたらまた別ですけど。

      ──興味本位でたくさん伺ってしまったんですが、逆に普段お聞きできないような話で面白かったです(笑)。さて、今年はカバーイヤーと位置づけて、こうやってカバーアルバムを2枚リリースされました。カバーイヤーでやろうと思ったことは、この2枚でしっかりやれたという感触がありますか?

      林部 そうですね。まあ、今はツアー中なので、それを全てやりきった上でどう思うかというのはまた一つ違うと思うんですけども、無限の可能性を探るために、あえて原点に返ってカバーを出すというところからスタートしたわけですけど、原点に返ってカバーのあり方を探る。そして今回、『カタリベ2』のような立ち位置で歌う楽曲、まあそれも1曲1曲違うんですけどね。また今回の『カタリベ ~愛のエクラン~』のような、また違う立ち位置で、歌い手に徹することで表現するというやり方を学べたというのは、またこれからの無限の可能性を探るために、大事なことだったなと思っていて。これからも僕はカバー曲というものを大事に大事に、オリジナル曲と同じように大事にしていくと思うんですけど、1曲1曲、もしくは一言一言、いろんなこと考えながら、時に音作りに関しても、どうやって聴いていただくかっていうところを意識しながら作れるし、オリジナルにも生かせるというところでは、非常にいいカバーイヤーになってるんじゃないかなと思っています。

      ──カバーイヤーが終わったら、またオリジナル中心で?

      林部 まあ、来年出すのはカバーアルバムではないでしょうね(笑)。オリジナルに力を入れながらやっていきたいと思うんですけど、先ほど阿木燿子さんや小椋佳さんのお話をさせてもらったりしましたけど、やっぱりこの時代を彩る作詞家さんたち、大レジェンドの方々が書いてくださるという奇跡というのはすごく大事にしたいなと、改めて思ったアルバムにもなりました。だからもちろん、オリジナル曲のあり方、今回この『カタリベ ~愛のエクラン~』でいろんなカバー曲を歌うことで、こういう歌も書きたいなとか、逆に僕自身、歌の中で少し時代をさかのぼることができたりしているので、逆に時代を意識した曲を作ってみたいなとか、そういった思いもありますし。それに、僕の見方が一つまた変わるきっかけになった、そんな1枚なので、できれば、この時代を彩った方々に書いていただくという、そんな未来もあったらいいなと思っています。

      ──「この人に書いてほしい」と思っても、もう叶わない人もいるわけですからね。その中でしっかりと縁ができて、書いていただいているというのも本当にすごいことで。

      林部 本当にそうですね。だからもし書いていただけるならば、今の時代や音をどう意識されているのかとか、「僕自身のエッセンスをこういう言葉で出してくださったんだ」とか、そういうところが僕としても、今から非常に楽しみなところではありますね。

      ──今もツアーの最中ではありますが、今作がリリースされて、セットリストに何か変化はあるんでしょうか?

      林部 基本的に今のコンサートはこの『カタリベ ~愛のエクラン~』を携えてのコンサートとなっているんですけれども……それ以外にも『カタリベ2』の楽曲やオリジナル曲も歌っている中、『カタリベ2』と『カタリベ ~愛のエクラン~』を分けたように、一つのコンサートの中でも、この楽曲たちと他の楽曲たちを混在させるのはけっこう難しかったんですよ。だからちょっと世界観を変えながら、一つのコンサートの中で二度楽しめるというか、いかに『カタリベ ~愛のエクラン~』の楽曲たちをどう聴いていただくかというところに、今回はこだわっています。そのための楽曲選びや演出を含めて、今回はこだわってやらせてもらっています。実際、CDが出る前からコンサートは開始しているので、来てくださる方は、今はアルバムを聴く前にコンサートさせてもらってるわけじゃないですか。それがリリースされてからは、アルバムを聴いてくださる方もいるし、聴いてくださってない方も当たり前にいると思うんですよね。でも、そこはそれぞれの楽しみ方があると思うので、コンサートの中で、初めて聴く方もそうでない方もどう楽しんでいただくかっていうところに、僕は重きを置いてますね。だからリリース日はそこまで重視していないというか、「リリースされます/されました」ぐらいの違いかなと思います。

      ──カバー曲にしても、コンサートで初めて聴いて、なおかつ原曲を知らない方もいらっしゃるわけですよね。でもそういう人にとっての聞こえ方も考えながら、と。

      林部 そうですね。僕は原曲の世界観を壊さないように音作りをして、歌も歌わせてもらっているつもりですけど、世界観以前に原曲を知らない方もいらっしゃるかもしれないわけで。でも世界観を壊さないことで伝えられるものというのは、初めて聴く方においても必ずある、と思っていて。特に僕のデビュー曲「あいたい」に遠き思いを馳せていただいている方もいらっしゃるので、僕の音作りというのはそのへんから始まっていたのかもしれないですけども、やっぱりどんな方にもその世界観、僕が描いた世界観が、音に乗って歌に乗って、伝わればいいなとは思っています。

      ──ちょっと普段とは毛色の違う質問をさせていただきますが、今年ももう4分の3終わったところで、ここまでで一番うれしかったことって何ですか?

      林部 何だろうな……あ、今年初めて、コンサートで47都道府県、全部行ききったんですよ。奈良が最後だったんですけど。今まで奈良は修学旅行とかでは行ったりしてたんですけど、実際、コンサートで歌いに行くというコンセプトでは、8年かかりました。

      ──でもそれはすごいですね!

      林部 今はもう、多いところでは2周目3周目になっているところもあるんですが1週目はわりと意識して、「あと沖縄と、こことここが残ってる!」みたいな感じでしたけど、奈良が終わった後は達成感というより、「8年か……」という感じでしたね。まあ、奈良が最後だと思わなかったですけどね(笑)。

      ──以前に熊本でのコンサートを拝見しましたが、熊本市ともまた違った地方の会場でしたよね。

      林部 ああ、菊池市でしたね。だからまだ、行ったつもりになってるけど行ってないところがたくさんあるし、僕も地方出身だから思うんですよね。山形出身だけど、山形市に行って全部回った気になっているのは、「地方の人」としてちょっと違うなと思ったんですよ。

      ──「酒田にはまだ来てくれてない!」とか。

      林部 そうです、そうです。そういう人たちもたくさんいるだろうし、僕自身がそういうタイプだから。まあだから、いろんなところに行けるのはありがたいし、うれしいですね。

      ──それこそ通常のツアーもあれば叙情歌のツアーもあったりと多層的な活動をされているから、余計に行く土地もまた変わってくるというか。

      林部 ああ、そうですね。叙情歌のツアーは、通常の「本ツアー」と言っているものとは行く場所がちょっと変わってきますね。同じところもあれば、なかなか本ツアーでは行けないようなところもコンセプトに入ってくるので、そういった活動を始めてから、確かにグッと広がりました。本ツアーだけで数えたら、行けてないところはいっぱいありますし。世界にも行ってないし。

      ──今の時点で、来年やりたいこととかあったりしますか?

      林部 いや……健康に歌えていれば、きっとその時の自分が一生懸命やってるだろうなとは思うので、やりたいことってないんだよなあ……。

      ──そこは分かれますからね。そういう目標を作らないと、やっていけないというタイプの人もいるし。

      林部 僕は、昔はそういうタイプだったんですよ。問題を提起して、解決型思考だったような気がするんですけど、今デビューした上での可能性を考えると、なかなか一つのことにあんまり執着しなくなりましたね。結局、目の前のことをやってはいるんですけど。

      ──それだけ活動の幅が広がったからという感じですね。

      林部 そうかもしれないですね。行った先に何があるんだろうというか。この先も、「ずっと引き続き」なんだろうなと、そうなればいいなと思っています。

      ──来年の活動も楽しみにしています。ありがとうございました!

      撮影 長谷英史

      『カタリベ ~愛のエクラン~』

      2024.10.23 ON SALE

      CONCERT TOUR 2024・秋

      ~ 遠き日の セレナーデ ~

      2024.10.25(金) 東京国際フォーラム ホールC(東京)

      2024.10.27(日) 東京エレクトロンホール宮城(宮城)

      2024.11.2(土) 熊本県立劇場 演劇ホール(熊本)

      2024.11.4(月祝) キャナルシティ劇場(福岡)

      2024.11.15(金) 札幌市教育文化会館 大ホール(北海道)

      2024.11.22(金) 鎌倉芸術館 大ホール(神奈川)

      2024.11.24(日) やまぎん県民ホール(山形県総合文化芸術館)(山形)

      2024.11.29(金) 東京国際フォーラム ホールC(東京)

      “おうちでコンサート”

      2024.11.29(金) 林部智史 CONCERT TOUR 2024・秋~ 遠き日の セレナーデ ~ 追加ファイナル公演

      Christmas Dinner Show 2024

      2024.12.19(木) ウェスティンホテル大阪(大阪)

      2024.12.22(日) 横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ(神奈川)

      2024.12.24(火) ホテルニューオータニ幕張(千葉)

      【林部智史 Official HP】

      https://hayashibe-satoshi.com

      【林部智史 X】

      https://twitter.com/hayashibe3104

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      高崎計三

      ライター

      高崎計三

      1970年2月20日、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。編集&ライター。仕事も音楽の趣味も雑食。著書に『蹴りたがる女子』『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)。