9月13日に20周年記念アルバム『続』をリリースする笹川美和さん。2枚組のDisc 1はオリジナルアルバム、Disc 2は最近配信されたシングル曲を含めた既発曲で構成されています。このアルバムには20周年のどんな思いが込められているのかをお聞きしようと思ったら、話は最初から意外な展開に……!?
デビューが「笑」なので、20周年記念アルバムは『続』
──最初に確認も含めてなんですが、今回のアルバム『続』の読み方って……。
笹川 「つづく」です。「つづき」とか「ぞく」とかも読めますけど、「つづく」です(笑)。
──それって、20年前にリリースされたデビュー曲が「笑」と書いて「わらい」だったのと……。
笹川 ちょっとかけてます、実は。『続』というタイトルについて、「これだと読み方がいろいろ出てくるよね」という話になって、「でも私、『笑』って漢字一文字でデビューしてるから、今回もそれでいくかね』ってことで。
──今作は20周年記念アルバムですよね。制作されるにあたって、20周年ということを意識されていたんでしょうか?
笹川 これが、面白い話なんですけど……いや、面白くなくてむしろ困らせちゃう話なんですけど(笑)、このアルバム全部が、2016年には完成してたんですよ。
──7年前にですか? デビュー13周年ぐらいの頃ですね。
笹川 はい。ミックスも終わって、残るはマスタリングだけというところまで普通に出来上がっていて。この後に私はCDを2枚出してますし、じゃあなぜこれを出さなかったかというと、何だかんだ特に理由がなくて。
──はあ。
笹川 諸説あって、その内の一つは「暗いから」とかいろいろあったんですけど、そんなこと言ったらデビューしてこのかたずっと暗いしな、とも思うし(笑)。結局のところ、このアルバムは宙ぶらりんのところにずっといて、完成した後に初めて他の方々からいただいた曲でCDを出して(2018年『新しい世界』)、それを出しちゃったがゆえに余計にこの子の出番が分からなくなっちゃって、しかもこれを制作した当時のチームが人事異動などで解散しちゃってて……なので、これといった理由はなかったんですよ。ただ一番大きいのは「暗いから」ということになってるんですけど。ただ、完成してるから出したいじゃないですか。それをいつ出そうかなと思ってて、20周年が見えてきた時に「あ、このタイミングなのか」と思って、今回出させていただくに至ったという感じなんですよね。……大丈夫ですか?
──驚いてはいますが、大丈夫です(笑)。そんなこととは。
笹川 ただ、20周年で出そうとなった時に、歌詞をもう一度見直したんですね。ウソをつきたくないというのもあるし。見直してみたところ、当時私が思っていた感情と、「こうなりたい」と自分を鼓舞するように作った歌詞が、今の私がより強くメッセージを伝えられる歌詞になってるなと思ったんです。ここ数年、それに20年やってきて思うのが、タイミングって必ず存在するなと。「あ、このタイミングで出せてよかったな」と、結果的には思いましたね。
──なるほど。では、7年前に作ったものをそのまま、ということですか?
笹川 そのままです。録り直しも何もせず、マスタリングをこの度したという、それだけです。
──逆に、7年前にできたアルバムを「20周年記念」と銘打ってリリースするというのは?
笹川 私の感情的には、強い思いを込めて1曲ずつ作っていたので、大切な楽曲ではあったんですよ。だからこそずっと「あのアルバム、どうするんだろう?」と思ってて。今回の楽曲って、100%エイベックスで作ってるものなので、出すとしたらエイベックスだなとなった時に、エイベックスさんとの契約はずいぶん前に終わってたんですけど、ずっと仲良くはしてもらってた中で「出したいと思うんですけど」という話をしたらお話を進めていただいて。だから古巣のエイベックスから出すということは、私にとっても意味がありますし、「20周年で」ということに関しては「やっとこの子たちを出せる」という気持ちが強かったですね。
──この7年間に、これらの楽曲をライブなどでは発表していなかったんですか?
笹川 そもそも1曲目の「続く」という曲は、当時NHK BSの番組でタイアップがついていた楽曲で、シングルとして配信はされてるんですね。その他、「鼴」と「君よ 君よ 君の。」は今年2月の舞台で劇中歌としては流れているんです。それから「見慣れたまち」は映像コンテスト(「マイクロシネマコンテスト2021-2022 」のミュージックビデオ部門)の課題曲になって。だから「未発表曲」という意味ではこの4曲を除いた7曲ですね。
──笹川さんの歌って、「何を歌っているのか」は歌詞を読めば伝わると思うんです。散文的というか、文章的な詞なので。
笹川 ありがとうございます。私は、言いたいことを歌詞に詰めてるつもりなんですけど、読む方によっては「難しすぎる」と言われることがあって、それで悩んだこともあるんです。なぜなら、私としてはすごく分かりやすく書いているつもりだから。ただ、もし「分からない」という方たちの意を汲んだとすると、私は言葉数を多く言うのが好きじゃないので、「歌詞」をキレイに「詩」として読めるようにするために、添削をするんですよ。例えば動詞で書いたことを、名詞一語に置き換えれば短くできるかなとか。そうやって削っていくので、補助がなくなって理解しにくくなるのかなとも思ってて。だからそう言ってもらえると、メチャクチャうれしいです。ありがとうございます(笑)。
全19曲、楽曲ができたきっかけを解説!
──いえいえ(笑)。だから、歌詞について「全部分かる」とまでは言いませんが、歌詞のテーマについては読めばある程度は分かると思うので、ここでは各曲が生まれたきっかけなどについて窺えればと思います。ではDisc 1の1曲目、「続く」から。
笹川 この曲は先ほど言ったようにタイアップがついていた曲なんですね。主人公さんが罪を犯してしまって服役して、出てきてから自分の人生をやり直す、というのがザックリとした人物像です。ただ、自分が罪を犯したくて犯したというよりは、なりゆきでそうなってしまったという感じで。それは誰にでも起こりうることだなと思ったんですよね。そのつもりがなくても罪を犯してしまうことって、実はそのへんにあることなんじゃないかと。「一寸先は闇」って本当にそうだし、それは生きてる限り続くことで、実は人生って、幸せだけという人もいるけど、ただただ理解できないこととか、受け入れがたいことも起きてしまう無情なものがあると。それでも明日は続いていくという中で、基本的にはハッピーなことは言ってないんですけど、「続く」ということは次に何が起きるか分からないということでもあって、私にとっては「何があるか分からないからこそ生きる」という意味で作った曲でした。
──最初、20周年アルバムの1曲目として聴いたので、この歌詞も「20年の日々を振り返って書いたものなのかな」と思ったりもしていたんですが(笑)。
笹川 でも要は、この20年もホントにその繰り返しだったなと思いますよね。やっぱり新人の頃とかはただただ前向きでいられたんですけど、だんだんいろんなものが見えてきて、結果論として、それはいいことだと思うんですけど。うまくいかないこと、納得いかないこともあって、それを汲んで生きていくわけですよね。2016年の時点でデビューからはけっこう時間が経っていて、いろいろつらいことなどもあったので、それも歌詞にこもっていて。20年経った今も同じように思うので、「一寸先は闇」はちゃんと体に入れとかなきゃいけないことだなと思いますね。
──なるほど。2曲目は「だからこそ話そう」ですが。
笹川 これは……2016年って、LINEが普及してきた頃なんですよ。その数年前からスマホが普通になってきて、LINEというのもだんだん普通になってきて、「既読スルー」というものが出てきたんですね。あと文章って、日本語の面白さでもあると思うんですけど、いかようにも汲み取れるんですよ。本人にはそのつもりがなくても、良くない方向に受け取られたりとか。でも向かい合って話し合ってるわけじゃないし、短い文章で送ると「ん?」ってなっちゃって、でもそれをどう伝えたらいいか分からない。だからこそ話したほうがいいこと、話したら大したことじゃなかった、ってことがあって、それを言いたかったという感じですね。
──その背景を聞くと、確かにより分かりやすいですね。
笹川 ただ人の言葉ってすっごく力があって、「全然気にしなくて大丈夫だよ」って言われたら「あ、ホントに?」って思えることもあるんですよね。人の言葉は救う力も持っていて、まあ逆もしかりなんですけど、そういうことを伝えたかった曲です。
──3曲目は「綺麗ごとだとしても」です。
笹川 綺麗ごとじゃないとやってられない時って、あると思うんですよ。「そんなの綺麗ごとでしょ」って言われても、「綺麗ごとで何が悪い」と思わないとやっていけない時もある。そう自分に言い聞かせて前向きにするというのも、作った頃にはあって。2013年の10周年ぐらいから壁にぶち当たって、というか壁の質が変わってきてるというのもあったし、プライベートでもお仕事でも、内省しなきゃいけないことが出てきて。その時に、ただただ答えが見つからないと落ち込んじゃうんだけど、そこに自分で諦めとか綺麗ごとで理由をつけて奮い立たせるようなこともしていたので、そのことを表した楽曲になっていますね。
──「やまない雨はない」というような言い回しって、「そんなの当たり前だろ」とも思うんですが、その言葉が刺さる場面というのも実際にあるんですよね。
笹川 そう、やむんですよね! やむ時って確かに来るんですけど、ただ降ってる最中は「そんな綺麗ごと言われたって……」と思ってるわけですが。古人が言うことって、ちゃんと正しいんだなと思いますよね。それこそタイミングによって出てきたものを素直に受け取るというのも大切かなと思いますね。
──この曲は、後半のベースの部分がすごくいいですね。
笹川 あそこはアレンジがガラッと変わるんですよね。最近はDisc 2の曲でやってもらってるストリングスのチームで演奏してもらうことが多いんですけど、当時はバンドが多かったんですね。今もバンドは好きなんですけど。で、私はアレンジはわりとお任せする方なんです。「この楽器入れたいかも」とか言うことはあっても、基本的にアレンジは任せるようにしてて。それはなぜかというと、このお仕事を始めたきっかけの一つに、アレンジされたものを聴いて「こんなに楽しいんだ!」と思ったというのがあって。それが一つの楽しみで続けてるのもあるから、お任せするんです。この曲は山本隆二さんというピアノの方がアレンジャーなんですが、その方があのベースを入れてくださって。私もあのベースはカッコいいと思って聴いてます。
──次が「見慣れたまち」なんですが、先ほどのお話を聞いて、「(original ver.)」とつけられている理由が分かりました。
笹川 そうなんです!こちらが7年前にできていたオリジナルなんです(笑)。Disc 2に入っているバージョンは昨年のものなので。この曲は昨年、映像コンテストのテーマ曲になったんですが、楽曲提供のご依頼をいただいた時に「一つ、聴いていただきたい曲があるんですが」と送ったら「バッチリじゃないですか!」ということで採用されたんです。ただ、先方がストリングスのアレンジでいきたいと思われたので、リアレンジしてストリングスを入れたものになりました。
──7年前に曲ができた時というのは、どういうきっかけだったんですか?
笹川 私は2019年に東京に出てきたんですが、デビューしてからもずっと地元の新潟に住んでたんですね。ある日、用事があって父と車でお出かけして、帰ってきて駐車場に車を停めて家まで歩いていた時、父の後ろ姿を見て「年取ったな」と思ったんですね。ずっと父親は父親のつもりなんですけど、後ろ姿を見るとちょっと祖父にも似てきているし、「年取ったなあ」と。それでよくよく周りを見回せば、変わってないと思っている周りのいろいろなものがちょっと古っぽくなっていたり、「時が経ってるな」と思って。そういう思いを込めて作った曲なんですよね。ただ、当時はそこに住んでいたんですけど、そこから出てきた今改めて聴くと、新潟という故郷、帰れる場所があると、精神面で……真っ当でいられるというか、一人じゃないと思えるというか。帰る場所があるってこんなにいいことなんだなと、出てから思って、見慣れたまちに対してより強く思うことはあるなと思いましたね。
「某雑誌のタイアップがついたと思って」制作された楽曲とは?
──5曲目は「女王」。
笹川 これも自分に言い聞かせてる曲ですね。デビューした頃も20代半ばもあまり変わらなかったんですけど、30歳を過ぎた頃から地元の友人たちとそれぞれの人生がバラバラになってきた時に、「自分はこれでいいのかな?」って思うようになるんですよね。「あの時のチョイスが間違ってたかな?」と思うこともすごく出てきて、今思えば結果として間違ってないと思うんですけど、悩んでる時というのは全てがプラスに受け取れなくて。でも自分で選んできたことって、全て自分に責任があることだから、人のせいにもできなくて、だからこそ自分を責めることしかできないんですよね。「何でそうしたの?」って思ったら、その時は「良き」と思ったし、「自分の将来にとってやりたいことはこれだったんだから」と思ったら、「それでいいじゃない」って。自分の人生の中で、男性なら自分が王様だろうし、私は女王なんですけど、「それでいいじゃない」って鼓舞して作った楽曲ですね。
──そうやって悩んだり迷ったことを楽曲にすることも多いんですね。
笹川 多いですね。失恋した時に気持ちを吐露して歌ったりもしてますし、曲の中では自分の事実を必ずどこかで入れるようにはしてますね。この楽曲に関してもそうです。今聴くと、わりとその境地に達せてるというか、もう20年もやってきてて、あの時「何だったんだろう?」と思ったことが今になってすごく生きてることだったり、そういう出会いがあって、「あ、人生ってちゃんとうまくできてるんだな」と思うようになったので、「女王」と。それぐらいの気概で生きたいなと思いますね(笑)。
──次が「知っててね」です。
笹川 こればっかりは成長できてなくて……恋愛に関しては素直になれないんですよ(笑)。だからこの詞は、感情そのままです。歌だとちゃんと言えるんですけど……実生活でできないことを歌に吐露するということはけっこうあるかもしれません。この曲を作ってから7年経ってるけど、いまだにうまくできないですねえ……。
──7曲目は「鼴(もぐら)」ですね。まず、「もぐら」ってこういう字なんだという(笑)。
笹川 そうなんですよ! この字が何で出てきたのか分からないですけど、「もぐら」は漢字一文字で、これで表現するって自分の中で決まってたんですよね。歌詞の中で「もぐら」って出てこないんですけど、「これはもぐらだ!」って思って。
──だから、この詞は他の曲に比べてちょっと抽象化されてますよね。
笹川 そうですね。日の目を浴びない、暗いところで生きてるという。この楽曲は、さっきの「綺麗ごとだとしても」にも通じるんですけど、世の中では「素直なのはいいこと」とされますけど、それが不倫だったら「この人が好き」というのは「悪」とされるわけですよね。でも素直であることはいいことなんだとしたら、「何が悪いの?」ってなっちゃう、その矛盾を歌ってる感じです。……あ、不倫はしたことないです。それは言っとかないと。
──了解です(笑)。
笹川 「疲れたから、会社休みます」というのはダメじゃないですか。でも素直なのはいいことじゃないですかっていう、世の中にはそんな矛盾がたくさんあるんですよね。でもそこは、人としてのモラルを守って人間社会で生きていくというのが、大人としてあると思うんですけど、でも矛盾じゃないですか。そこに、「これは綺麗ごと言ってんだな」と分かったとしても、その感情を持ってることで生きていけるというか、ある意味、汚れた心を持っているからこそ生きていけるというのもあると思うんですよ。そんな楽曲ですね。
──芸能人の不倫報道を見たとか、そういうことがきっかけだったんですか?
笹川 これは何だったかな? でも不倫報道とかから楽曲を作ったことはなくて、なぜなら自分が不倫したことがないからだと思うんですけど、この時は……自分の中でその恋愛を「やめた方がいい」と分かっているのに、「だって好きなんだもん」と抗ったところから出てきた楽曲だと思います。そこから内省していった結果、この楽曲ができました。
──次は「夢見草」ですね。短い曲で、展開がなくフラットに進むこともあって、歌詞も詩的ですよね。
笹川 これは最初から「小作品を作ろう」と思って作り始めたんです。「夢見草」って、桜の別称なんですよ。
──あっ、そうなんですね。
笹川 そう考えて2番を聴くと理解しやすいかなと思うんですけど。桜って、メチャクチャきれいに咲いてみんなに持て囃されるけど、本人たちにオイシイことは別にないですよね。でもあれだけきれいに咲いて人に見せるということへの愛情というものも楽曲に込めてるんですけど。坂口安吾さんって、新潟県出身なんですよね。
──作家の。
笹川 これは坂口安吾さんの「桜の森の満開の下」という作品を題材にした曲なんです。私は新潟の海のそばで育ったんですけど、坂口安吾さんの生家も海のそばで。実家では海が荒れると海鳴りが聞こえるので、きっと坂口安吾さんも海鳴りを聴いてたんだろうなあと思って、そういうのをひっくるめてこの小作品にしているんです。実体験も入れつつ、ちょっと詩的というか、物語っぽくなってるというのはそういう部分かもしれません。
──次は「君よ 君よ 君の。」です。
笹川 私は子供はいないんですけど、母性を持って作った楽曲ですね。それは当時、私が好きだった人に対する気持ちだったんですけど、女性って、好きな男性に母性を持つことってあると思うんですよね。「しょうがないなあ」という気持ちだったり、そういうところを引っくるめて愛おしかったり。それが生きる上でとてもプラスになってたりすると思うんですけど。私は当時好きだった方にすごくそういう気持ちを持っていたので、それを出した楽曲ですね。変わらないでいてほしいというのも、彼の全てを受け入れようという気持ちで。
──先ほど、今回のリリースにあたって確認のために聴き直したというお話をされていましたが、当時の感情も込みで思い出すんじゃないですか?
笹川 思い出しますね。全ての楽曲に、モデルの人物がいるわけですよ。ライブで歌う時も「あいつだ!」とか思いますからね(笑)。それは一生消えないだろうなと思って。名前とかは忘れてるんですけど、ヤツ……って言ったら悪いですけど(笑)、ヤツのことを覚えてるんですよね。それはきっと私だけじゃなくて、楽曲を作られてる方は「あいつだ!」っていうのがあるんじゃないかなと思います(笑)。
──10曲目は「こもれび」ですね。
笹川 これは……何でもいいというところから曲を作るのって、けっこう大変なんですよね。そしたらディレクターから「じゃあさあ」と。「笹川は幸せな楽曲を作ることってあんまりないから、『ゼクシィ』のCMタイアップがついたと思って作ってみなよ」って言われて(笑)。それでできたのがこの曲なんです。
──その提案もどうかと思いますが、しっかりそれに乗って作ったんですね(笑)。
笹川 はい(笑)。そうすれば、「幸せ」の想像がつきやすいかもと。ディレクターも、私のプライベートがそんなに幸せじゃないことを知ってるから、タイアップだったら作りやすいだろうと(笑)。だから私としてはハッピー満開で作ってるんですけど、どうしても暗く聞こえちゃうのが不思議ですよね(笑)。
──そうですか(笑)。次の11曲目、「旅に出よう」がDisc 1、つまり7年前に作ったアルバムのラスト曲ですね。
笹川 そうですね。この曲はけっこうお気に入りで、とても思っている人と旅行に行けたらいいなという思いからできた曲ですね。人生の旅というものと、現実に旅行に行けたらというのがかかっていて、私が行けたらいいなと思っているところを自分なりに景色で表現しているというだけの話なんですけど。それがアレンジもとても好きで、なぜかとてもお気に入りの曲になったんですよね。
「木」の視点から書かれた楽曲?「僕は椅子」
──この曲でDisc 1が終わって。Disc 1とDisc 2には何かつながりがあるのかと思っていたんですが、間に7年の月日が経っていたわけですね。
笹川 はい、だからこの2枚は全然別物です。ただ、7年前にこのアルバムを作った時から自分の内省の旅が始まっていて、それがコロナ禍の時期を経て、去年ぐらいにわりと着地点を見つけ始めているんですよね。今って、自分の中で感情がとてもフラットに安定している状態だし、自分で幸せを見つける方法も確立していて、だから今はとても楽しく生きてるんです。だからその旅路が、1枚目と2枚目の間にかなり詰まっている感じです。Disc 2に関してはまさに着地点というか、旅の終わりという感じになってますね。
──Disc 1とDisc 2の間にそんな変化が。
笹川 すんごくいろんなことがあって、7年前に作った時の感情を、常にナチュラルに持っていければいいのにというのをずっと自分の中で試行錯誤していって、メンタルもだんだん……年を取ると強くなっていくんですかね、「オバチャン精神」にとても憧れるんですけど。「何とかなるわよ!」というのがどんどん染みついていってるのが今なので、けっこう出てるかなと。だからDisc 2を聴いて、ちょっとホッとしていただけたらいいなと思います(笑)。
──そのDisc 2の1曲目が「あなたと笑う」ですね。
笹川 これは本当にコロナ禍に入る直前の時期に、タイアップをいただいて作った曲です。ミツカンさんの新製品のCM用だったんですが、とてもアットホームな感じの台本だったので、家族とかをイメージして作った楽曲ですね。もちろん私の感情も入ってるんですけど、家族の幸せとか商品名とかを加味して作った感じが強いです。
──次は「僕は椅子」。これはまさに椅子から発想を得て作った曲なんですよね?
笹川 はい。北海道の東川町という、旭川家具の職人さんがたくさん住んでいる町とご縁が出来た方から「ライブをしませんか」というお誘いをいただいて、その町に、ステキな楽器が置かれているとてもステキな場所があったんですよ。それで、東川町がどんなところかというお話を聞いたら、中学校に入学する時に、教室の椅子を全員プレゼントしてもらえるらしいんですよ。卒業する時にはそれを持って卒業できて、卒業式ではみんな椅子を持って花道を歩いていくと。その話を聞いた時に、「何てステキなんだろう!」と思って、当時一緒にライブをしようと言っていて仲が良かった長谷川久美子さんというピアニストに話したら、「美和ちゃん、それは曲を作るべきだよ! それを東川町でのライブで披露したらいいよね」と言われて。
──なるほど。
笹川 それで「曲を作ってみようと思います!」って話したら、「町の方にも伝えていいですか?」ということからあれよあれよと話が大きくなってNHKさんの番組につながって、主題歌ということになったんです。それで家具職人さんとお話をして現場も見に行って、種から芽が出るのがいかにすごいことで、その木が職人さんたちに見初められるというのもすごいことだというのが分かって。家具もタイミングと出会いと、いろんな奇跡のようなものから生まれているんだなという楽曲になってます。
──だから楽曲は、「椅子」というよりも「木」の視点になってますよね。
笹川 今思えば、木の目線で歌ってる曲ってなかなかないですよね(笑)。
──そう思います(笑)。3曲目の「見慣れたまち」については先ほども伺いましたが、Disc 1のバージョンとは歌い方も違ってますよね。
笹川 バンドとストリングスで、歌い方も変わるじゃないですか。それでそうなったという感じですね。
──4曲目から7曲目までの4曲は、星にまつわる楽曲が続きます。まず「アルタイル」。
笹川 私は東京スカイツリータウン(R)に入っているコニカミノルタ・プラネタリウムでライブをするのがすごく好きなんですけど、初めてピアノ、コントラバス、バイオリンという編成でやる予定だった時が、コロナで中止になっちゃったんですよ。私はストリングスがすごく好きなのですごく残念で、延期の話をしたりしていてみんなとはそのままつながっていて。「延期になって時間があるから、私、楽曲作ろうかな」ということで、できたのが「アルタイル」なんです。で、なぜ夏の星座のアルタイルなのかというと、その時、夏をテーマにセットリストを考えていたんですね。そのライブは中止になって、やっとやれたのが翌年春だったんですけど、そのまま夏のセットリストでやって。それがすっごく楽しかったので、残りの秋・冬・春も作って、一つの作品にできたらいいねってことで、それが現実化していって。そしたらコニカミノルタ・プラネタリウムの「LIVE in the DARK」が5周年ということで「CDを作りませんか」ということになったんです。プラネタリウムのショップとネットで売られているんですけど。
──それがこの4曲ということですね。
笹川 だから1回CDの形にはなってるんですけど、流通はしてなかったので、今回せっかくだから入れたらということで、皆さんの許諾をいただいて収録できました。だから、続く「ペガサス」「スバル」「スピカ」も全部それぞれの季節の一等星なんですよね。
──そういうことなんですね。次がDisc 2のラスト曲、「透明色」ですね。
笹川 これは今年の2月に上演された舞台の主題歌として作ったものなんですが、去年の12月11日に「スピカ」ツアーの大団円で、ツアーの後夜祭みたいな感じのライブをやったんですね。その会場が脚本・演出家の西田大輔さんという方がプロデュースのお店で、彼も見に来ていて、「美和ちゃん、今度やる舞台のために曲書いてよ」ということで。「いいよー。いつ?」って言ったら「2月」だと。
──2ヵ月後(笑)。
笹川 その時は「また無理を言って…」と思ったんですけど、その時点ではまだ台本がなく、構想を聞いている時にポンと頭に浮かんだのが、なぜか「透明」という漢字二文字で。結局作るとなり、正味5日ぐらいで曲を書き上げて、「スピカ」チームの3人に「アレンジよろしくね!」って投げて、いつも使わせてもらってるスタジオもたまたま取れたので、そこでレコーディングしてできた楽曲です。
──ものすごい突貫だったんですね。曲を聴くとそうは思えないですが(笑)。
笹川 どうしても「透明」というのが引っかかって、これは決まりにしようと。それで作り始めたんですけど、「透明」って言葉があるぐらいだから、「透明色」というのはあるんですよね。でも見えないとされるし、そこを着目点にして楽曲を作りました。正解なんて誰にも分からなくて、自分で何とでもなる。その代わり責任を持つのも自分なので、しんどいんですけど、だからこそ人生って捨てたもんでもないのかなというのを込めたので、私の感情も入った楽曲でもありますね。
1stアルバム再現ライブの反響にビックリ! 20周年記念ライブも盛りだくさん
──というわけで全曲お聞きしましたが、20周年ということについても伺いたいと思います。この20年、ご自身が一番変わったと思われるところはどこですか?
笹川 これは謙遜でも何でもなくて、才能があると思ったことは、本当に1回もないんですよ。ただメジャーデビューできたということは本当に希有なことで、誰にでもできることじゃないですよね。でも、しんどいことが本当に多かったんです。それだけではないけど、今思うと、「しんどい」の方が勝ってたんです。その頃は「音楽の“せいで”」と思うことがすごく多かったんですけど、今は「音楽の“おかげで”」と思えるようになったことが一番大きな変化だと思います。「音楽の“せいで”」こんなしんどい思いをさせられて……と思っていたのが、「音楽の“おかげで”」こんな景色も見れて……と。今の私は音楽がなくなったら、今の笹川美和ではなくなってしまうというところにまでなっているので。
──同時に、先ほどLINEの話が出たように、20年も経つと周辺にもいろんな変化がありますよね。
笹川 最初の頃は、音源を渡したりするのにMDを使ってたんですよ。MDですよ!(笑) 当時はペーペーだから、たくさんのラジオ局にコメントを録音して送ったりというのもあったんですけど、それもMDでしたからね。かさばってかさばって! コピーコントロールCDの時代もあったし。だから全然違うんですけど、でもたまに、「今の時代にデビューしていたら、私はどうなってたんだろう」ということをすごく思います。壁は絶対に少なくなっているので、今の時代にデビューする人と同じ環境だったら、私が見る景色はまた絶対に違うんだろうなと思ったり。今の方にしかない悩みもあると思うんですけど、自分の評価が目に見えるというのも今ならではだと思うんですよね。それでしんどいこともあるかもしれないけど、評価が見えてやる気になるというのもあるだろうなとも思いますし。
──いろんな評価を直接受けるわけですからね。
笹川 そうそう。エゴサとかする人はキツいんだろうなと思いますけど、いつでもいろんなこと言ってくる人はいますし。「そういう人とメシ食うことはないからな」と思ってずっとやってますけどね(笑)。みんなに好かれるなんてことは絶対ないですから。
──9月18日にBillboard Live YOKOHAMAで20周年記念ライブ、そして11月と12月にも東京と大阪で記念ライブがありますね。
笹川 9月18日は、1stが今回のアルバム、そして2ndが20周年と、セットリストがガラリと変わるんですね。で、11月の「事実」は1stアルバムの再現なので、ある意味恐怖です。なぜかというと、当時の歌詞だから恥ずかしいところがあるんですよ。「大丈夫かな?」と思いながら、やってしまえばきっと大丈夫なんでしょうけど。あの頃の勢いとかは今の私にはないですけど、その分培ってるものはあると思うので、聴きに来てくれたお客さんが満足できるようにというだけを意識して楽しめると思います。大阪は、15分の休憩を挟んで1stは新しいアルバム、2ndは20周年のおさらいということで。20周年となると楽曲も多いので、初めてなんですけどメドレーとかも盛り込んだら、来てくださる方も楽しんでいただけるかなと思っています。
──それぞれに色があるんですね。
笹川 それぞれのタイトルに、コアなファンなら「あの楽曲のことか!」と分かるものをつけています。来年もいろいろ予定を組んでいるので、20周年の1年間は駆け抜けようと思っています。そうじゃないとすぐ休もうとするので(笑)。
──その後に、これまでやったことないけどチャレンジしてみようというようなことはありますか?
笹川 これまで、ホントにそういう欲が少ないままやってきてるって、逆にいかに周りの方から提案されてきたかってことなんですけど(笑)、でもずーっと思ってるのは、ライブで、自分の理想の編成で歌うということなんですよ。それができればいいなって思ってるんですけど……どんなことしたらいいと思います?
──いや、そう聞かれても(笑)。
笹川 楽曲を作り続けるのも大事だし、ファンの人への恩返しとかも喜んでもらえるかなとも思うし、悩みますね。いい案があったらいただければ(笑)。ビックリしたのが、1stアルバム『事実』の再現ライブがすっごく反響よくて、そんなに大きい会場じゃないんですけど、完売になったんですよ。アルバム再現ってそんなに喜ばれるんだ!と思って。ちょっとそういうことも含めて、考えてみます(笑)。
──いい案が浮かぶことをお祈りします(笑)。ありがとうございました!
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ライター
高崎計三
1970年2月20日、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。編集&ライター。仕事も音楽の趣味も雑食。著書に『蹴りたがる女子』『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)。