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井上紗矢香

【メジャーデビューから1年】井上紗矢香 新曲「ばか」 チクッと刺さる感じになってほしい

2021.06.16
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音楽
インタビュー
昨年、「無重力飛行士」でメジャーデビューしてから1年が経った、シンガーソングライターの井上紗矢香さんが本日、ニューシングル「ばか」を配信リリース。2分半という長さで淡々と歌われるこの曲には、どんな思いが込められているのか。そしてこの1年間の活動で彼女が得たものとは? このコラムコーナーにも1年ぶりの登場となる井上さんに、いろいろとお聞きしました。


“傷”に気づかされた戸惑いや安心を歌った新曲「ばか」



──さっそく、新曲「ばか」について伺いたいんですが、歌詞を見るともっと重い曲調になってもおかしくない内容だと思います。でも、楽曲はそうではないですよね。「重くなりすぎないように」という意識があったんでしょうか。
 
井上 日々生きていく中で、誰しもがちょっとずつ傷ついたりとかするじゃないですか。でも、多くの場合は傷ついてないふりをして、自分で自分をごまかして生きていきますよね。でもそういう時に、「大丈夫?」みたいな優しい言葉をかけてもらったり、残業中に缶コーヒーの差し入れをもらったり、ふいの優しさに触れて「あ、私ってやっぱり傷ついてたんだな」「あの時、『悲しい』って思ってたんだな」と気づく瞬間を描いた曲なんですね、この曲はそもそも。でも、その時に感じるものって「悲しさ」ももちろんあると思うんですけど、優しさに触れて「ありがたいな」とか「温かいな」とか、そういう感情も混じってると思うので、悲痛な叫び一色にはしたくなかったんです。そういうことを考えて作ったから、言われたように重くなりすぎないようになったのかなと思います。
 
──見ないふりをしていたものに気づかされたということ自体は悲しいけど、そのきっかけになったのは「優しさ」や「温かさ」で、それ自体はありがたいことだと。
 
井上 そうですね。泣くってことは悲しいんだとは思うんですけど、泣く時って、安心して泣くということもあるじゃないですか。「やっとこの悲しかった気持ちを救ってもらえた」という安心感だったり、そういうところが描けたらなと思って。
 
──昨年にもこのコラムコーナーでインタビューさせていただきましたが、その際に作詞について「日常の中で心の動いた瞬間を逃さないように書いている」という言葉がありました。この曲もそういう過程で生まれたものですか?
 
井上 そういう瞬間って私にもあるし、誰にだって少なからず思い当たるところがあるシチュエーションかなと思うんですけど、なかなか、そこにフォーカスして覚えている思い出ではないというか。「入学式」とか「卒業式」みたいなものとは違いますよね。だからこそ、何気ない瞬間を切り取って覚えていたいなというのはあります。書かないと忘れちゃうようなものなので。
 
──この曲は配信シングルとしてのリリースですが、シングル用にと意識して作られたものなんですか?
 
井上 いえ、もともと日々の曲作りの中で生まれたもので、何かのためにという気持ちで書いたものではないです。
 
──2分半という短い尺で、最後までわりと淡々と進行しますよね。シングルとして考えると、「大サビで盛り上げた方が……」というようなことはなかったですか?
 
井上 先ほどの「重くなりすぎないように」ということともちょっと重なるんですが、あんまり壮大にしたりとか、重々しくしすぎると、それこそ“悲しさ一色”みたいな曲になってしまったりすると思うんですけど、そうはしたくなかったというか。日々の中でスッと流れていく悲しさも安心も、いろいろなものがない交ぜになった気持ちが、「これです!」っていう感じじゃなくて、チクッと刺さる感じになってほしいと思ったんです。だから大サビとか、声を張り上げて!とかはいらないかなと、感覚的に思いました。
 
──演奏もピアノのみで、シンプルなアレンジですよね。それも曲のテーマに沿って?
 
井上 はい。ピアノは自分で弾いたんですけど、素朴な感情を歌っているし、声と歌詞が一番シンプルに生きる形がこれなのかなって感じですね。
 
──サビで、タイトルの「ばか」という言葉が2回出てきます。そこのニュアンスの変化などは意識されましたか?
 
井上 1番は、傷口を見ないふりしていたのに泣いちゃって、自分でも驚くというか戸惑うというか、恥ずかしさを隠すための怒りだったり、そういういろんなものがゴチャゴチャになって「ばか」ってつぶやく感じが、私の中ではするんですね。それが2番では、「そういえばあの時も傷ついたし、あの時も痛かったし……」とか、いろいろ思った上での「ばか」なのかなと。もうちょっと自分の中で感情を整理して、納得もして、それでもやっぱり思わず涙しちゃったことに対して、さらに大きい感情になっての「ばか」という感じですかね。
 
──「ばか」という言葉自体もシンプルなだけに、少しのニュアンスで重くなってしまったり、逆に軽くなってしまったりもすると思います。そういう点は、レコーディングでは意識されましたか?
 
井上 作りながら自然となんですけど、「ばか」っていうフレーズを置くところは、普段言葉で発するのに近いテンションで言えるようにメロをつけた気がしますね。
 
──詞とメロディは一緒に作る方ですか?
 
井上 私は詞が先なんですけど、詞を作る時にはメロの雰囲気というか、その言葉の集まりが持つ雰囲気みたいなものは自分の中にもうあるんですね。その中から合うメロを選んでいくっていう感じなんですけど、言葉を見ながら、実際に歌いながらメロをつけていくので、そこで自然に出たメロが、「ばか」っていうところのメロだったかなと思います。「ばか」っていう言葉は1番と2番のそれぞれ終わりに、いろいろあった上でひっくるめてという感じで出てくるんですけど、その言葉を順番に歌っていったら自然と感情が乗るようなメロになったかなと思います。
 
──曲の資料に添えられた井上さん自身のコメントには、「この曲を聴いたらもしかするとあなたの傷もヒリヒリと痛みだすかもしれない。けれど隠せばもろい傷も、その痛みとちゃんと向き合ってかさぶたになってしまえば不思議ともう怖くない。だからぜひ怖がらずに聴いてもらえたら嬉しいなと思います」とありました。詞の内容が聴く人に刺さってほしいとは思いつつ、でもその人の傷もえぐってしまうかもしれない、という気遣いというか、複雑な気持ちもすごく感じられたんですが。



井上 もちろん、刺さってほしいという思いもあるんですけど、この曲って、自分でも気づいてなかった傷に気づいてしまって、思わず涙が溢れてしまうというシチュエーションを書いたものなので、刺さるとしたら同じような刺さり方をすると思うんですよね。だから刺さってほしいけど、刺さった時のダメージは心の弱いところに直で触れるような感じになってしまうじゃないですか。この曲を聴いて泣いてくれた人をいったん想像すると、「あ、泣かせてゴメン!」みたいな気持ちにもなってきて(笑)。でもそういう風に泣いた後って、雨が上がった後にまた走り出せるみたいな、軽やかな気持ちになったりもすると思うので、ぜひ、泣くことを恐れずに聴いてほしいと思います。
 
──この曲はジャケットにムンクの「叫び」が使われてますよね。井上さんの写真などでもいいと思うんですが、ここで有名な絵画を選んだのは?
 
井上 もともと「自分の写真を出したい」みたいなこだわりはなくて、この曲に合うものはないかなとネットなどを探していた時に、「叫び」という絵に出会ったんですね。まさに「ばか」って叫んでる感じもするし、あの絵のことをいろいろ調べていくと、ムンクが自然の中で叫びが聞こえたように感じて描いた絵だということも分かって。でもそれは実際に聞こえたわけじゃなくて、ムンクの中にいろんな不安とか悩みとか葛藤があったからこそ聞こえたものなんだなと思えたんですね。とすると、悲しみとか恥ずかしさとか怒りとか傷とか、一方で安心とか、いろんな気持ちが含まれたこの「ばか」っていう曲にすごくピッタリなんじゃないかなと思って、使いたいなと思いました。
 
──では井上さんからの発案だったわけですね。しかし「これを使いたい」と最初に言った時には、スタッフの方たちには驚かれたのでは?
 
井上 驚きはあったみたいです(笑)。でも最初はインパクトを持って選んでほしいなという思いもあるので、これでいいのかなと思ったりもします(笑)。
 
──改めて、どういう人に聴いてもらいたいですか?
 
井上 どんな人にも聴いてほしいんですけど……私自身もそうだったんですけど、例えばクラスの中心にいるようなタイプでも何でもなかったし、音楽を聴きながらひっそりと「私も音楽をやってみたいな」と思っていたり、ひっそりと深夜ラジオを聴いたりしてるような子だったんです。同じような子に聴いてもらえたらなとも思いますし、誰しも心にそういう部分を持ってると思うので、一人で落ち込む時間とか、誰にも見せなくてもあるじゃないですか。そういう時にひっそり聴いて、ひっそり刺さってもらえたらうれしいなって思います。
 

メジャーデビューから1年……コロナでの最大の“誤算”とは?



──さて、昨年のメジャーデビューから約1年が経過しました。この1年間はいかがでしたか?
 
井上 一人でやってるわけじゃないというのがすごく大きくて、私以上に私のことを考えてくださるスタッフさんたちがいたり、そういうのがすごく心強いなと思うし、より頑張らなきゃなと思った1年でしたね。あと自分一人じゃないからこそ、いろんなことにチャレンジできたり、新しいことに触れられた1年だったなと、すごく思ってます。それはもちろん、「タイアップでこういう曲を書いてみない?」ってお話をいただいたりすることもそうなんですけど、そこから派生したこともいろいろあって。最初に書いたのが「ふろガール!」というお風呂を題材にしたドラマの曲(「無重力飛行士」)だったんですけど、それがきっかけで入浴剤のことをより深く知って好きになったりとか、夏用の冷たい入浴剤もあるってことを知ったりしたんですね。
 
──いろいろ興味の幅も広がったんですね。
 
井上 YouTubeでは「さやカバー」というカバー企画とかもやったんですけど、それも一人でやっていたら「好きな曲を歌ってみる」程度だったと思うんです。でもみんなとやることで1曲1曲と深く向き合う時間ができたり。「レシピソング」っていって料理の曲とかも作ったりしたんですけど、それもたぶん自分だけだったら「やってみよう」ってならなかったと思うし、そういう風に、自分一人で黙々とやってたら通らなかったこととかをいっぱい経験できて、大変な面もあるんですけど、世界が広がったというか、それによって「もっとこうしてみたいな」というのも増えていくし、新しいことに挑戦してまた夢が膨らんだ1年だったかなと思います。
 
──同時に、この1年はコロナの影響下にある1年間でもありました。そうでなければライブなど人前で歌う機会ももっと増えていたでしょうし、いろいろ制約もあったかと思います。そういう点で思ったことは?
 
井上 でも……私は逆に、コロナじゃない世界でデビューした自分を知らないので(笑)。ただコロナの影響というと、もっと半年に1回ぐらいは地元の福岡に帰って歌うつもりでいたんですけど、そういうのができなかったというのはありますね。「今度福岡に帰ったら、あそこに行って、あのライブハウスでも歌って、誰々に会いに行って、そのついでにアレを食べて……」とか、「アレは絶対お土産に買って帰りたい」とか、福岡でやりたいことが浮き彫りになった感じはあります。福岡にいる時から地元は好きだったんですけど、「絶対にこれは食べておきたい!」とかはあんまり思わないじゃないですか。
 
──いつでも食べれると思いますからね。
 
井上 はい。いつでも食べれる、いつでも歌いに行ける、いつでも会える……でもそれができなくなって、そういうことに対する欲は増えたかなと思います。
 
──地元に帰ることもままならなくなるなんて、想像してなかったですからね。
 
井上 そうなんです。上京したのが2019年の秋で、コロナの数ヵ月前だったんですね。東京に来た時も「半年ぐらいしたらいったん福岡に帰ってライブしようかな」ぐらいに思ってたので、まさかそこから2年も帰れないとは、という感じです。
 
──ちなみに今、福岡に帰ったら一番食べたいものって何なんですか?
 


井上 福岡県の八女(やめ)市っていうお茶どころの出身なんですけど、お茶屋さんにあるお茶のソフトクリームって、別格なんですよ。よく売られている抹茶味のとは全然違って。お店で食べると、一緒に緑茶もついてきたりするので、アレは本当に、もう一回味わいたいなって思いますね。
 
──お茶どころに生まれ育った人ならではのご意見ですね! 今もラジオなど、地元関連の仕事も多いですよね。上京した今でも地元とのつながりが強く残っているというのは、いいことですね。
 
井上 はい、特に地元・八女のコミュニティFM「FM八女」ではコーナーを3年以上やらせてもらっていて、ありがたいことに上京してからも電話出演で続けさせていただいてるんですよ。そういう風に月1回は必ず福岡との関わりがあって、すごくありがたいなと思いますし、ラジオに出演してるとふいに地元の情報が出てくるんですよ。「こっちは今、タケノコの季節ですよ」とか(笑)。そういう話を聞くたびに、地元を感じられていいですよね。「あ、タケノコの季節なのか……」みたいな(笑)。
 
──東京で暮らしていたら、タケノコの季節を感じることはなかなかないですからね(笑)。どういう点も含めて、地元とのつながりは井上さんの活動には欠かせない要素の一つですね。
 
井上 そうですね。地元とのつながりがずっとあるというのは、すごくありがたいですね。
 
──この1年間の活動で、あえて一つ、一番印象深い出来事を挙げるとすると?

井上 「Home」という曲のMVの撮影で、熊本の阿蘇に行かせてもらったのは印象深いですね。今、あまり移動ができない中で唯一、九州上陸ができたのもうれしかったですし、九州の空気、昔遊びに行ったりもした阿蘇の空気が吸えたこともよかったです。しかもそれが遊びじゃなくて、MV撮影という仕事で行ったというのが、特に印象深い出来事でした。
 
──またこの1年で、アーティストとして、また楽曲提供もする作家としての成長の手応えは、どんな風に感じていますか?
 
井上 いろんなことをやらせていただいて、もちろんうれしいしありがたいというのはあるんですけど、まだまだだし、もっとやっていきたいという気持ちも同じぐらいあります。それに今って、ネットとかでいろんな人の活動を見られるじゃないですか。音楽に限らず、「こんな素敵なイラストを描く人がいるんだ」とか、「こんな写真を載せてる人がいるんだ」とか。クリエイターの人々だけじゃなくて、一般の人たちの投稿からも感じることがあったり、いろんな刺激を受けられますよね。そこからインスピレーションを得たりとかもあるので、もっともっとそういう人たちと関わって、いろいろやっていきたいなという思いが膨らんだりもしましたね。
 
──実際、「そんな夜を越えて」のMVでもBara.さんのイラストを採用されたりしていますよね。そういうコラボレーションももっとやっていきたい?

井上 そうですね。自分が淡々とやっていくのと同時に、こんな時代に生きているんだから、いろんな人と関わったりしてやっていきたいなという思いも日々、ふつふつと湧いてますね。私自身はわりとシャイな方ではあるんですけど。
 
──7月18日には「action 清流 REX MUSIC FESTA 2021」(ぎふ清流文化プラザ 長良川ホール)への出演が決まっていますね。
 
井上 フェスに出演するのが初めてという楽しみもありますし、岐阜県に行くのも初めてで、いろんな意味で初めての緊張と、すごいワクワクがありますね。フェスで歌うということは一つ自分の夢でもあったので、そのステージに立った時にどういう気持ちになるのかなということは、すごく楽しみにしています。
 
──構成なども、もうある程度決まってるんでしょうか。
 
井上 はい、弾き語りでやることは決まっていて……ただ、自分でもどうなるか想像がつかないんですけど(笑)。キーボード持ち込みなので、いつもと同じ私と私のキーボードではあるんですけど、どういう景色なんだろうなって思うと、やっぱりワクワクしますね。
 
──井上さんのことを初めて見るお客さんもいると思います。どういうところを見てほしいですか?
 
井上 今回の「ばか」も歌おうと思ってるんですけど、これはまさに日常の生活の中で生まれた曲なので、素の私に近いものが出せるんじゃないかなと思っていて、そういうダイレクトな部分を楽しんでもらえたらと思っています。
 
──その先、これからの目標という部分では、変化はありますか?



井上 ずっと「ジブリっぽいね」って言われてきて引っかかっている「ジブリ」というワードがあるので、ジブリ映画の主題歌、それから東京ドームという大きな目標は変わってないです。ただ、何でずっと音楽を続けているかというと、創作する楽しみと奏でる楽しみのためにやっていると思っているので、いろんな人とやることもそうですし、いろんな刺激を受けることもそうですし、そういうことを含めて、もっと音楽を楽しむためにビッグになっていきたいなって思います。
 
 
撮影 長谷英史

 
「ばか」
2021.6.16 デジタルリリース

 
 
【井上紗矢香 Official Website】
https://avex.jp/sayakainoue/
【井上紗矢香 YouTube 真夜中のラジオ】
https://www.youtube.com/channel/UCam9iuq9w_PaS4VYg6IJLhQ
【井上紗矢香 Instagram】
https://www.instagram.com/s_sweet.h/
【井上紗矢香 Twitter】
https://twitter.com/s_sweeth
 
 



高崎計三
WRITTEN BY高崎計三
1970年2月20日、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。編集&ライター。仕事も音楽の趣味も雑食。著書に『蹴りたがる女子』『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)。

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