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【角松敏生】マルチに封印されている貴重な記録を後世に残したい【VOCALAND REBIRTH】

角松敏生

【角松敏生】マルチに封印されている貴重な記録を後世に残したい【VOCALAND REBIRTH】

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90年代後半、角松敏生が手がけたヴォーカリスト・プロデュース・プロジェクト『VOCALAND』が、『VOCALAND REBIRTH Extended Mix by TOSHIKI KADOMATSU』として甦った。70年代後半から80年代前半のアメリカの歌モノが大好きな人なら(筆者もそのひとり)、グルーヴィーでスムーズでファンキーな極上サウンドに、「Yeah!」と何度も叫びたくなるはず。「眠っていたマルチはさながら博物館なんです」としみじみと語るご本人。その言葉の奥には、長い時間をかけて何層にも織り重ねられてきた音楽への譲れない思いが息づいていた。

『VOCALAND』が作られた時代の空気とは……?

──まず、音圧に驚きました。シンセでも実機の音、そして、マルチテープで録った音が元になっていると、こんなに太いのだなと。
 
角松 そうきましたか(笑)。あの時代の音ですよね。
 
──そもそも1996~97年のプロジェクトであった『VOCALAND』を、今また新たな形で提示しようと思われたのは?
 
角松 いや、エイベックスさんから頼まれたからですよ(笑)。時代とともにエイベックスさんも相当変わってきてるので、当時の背景を語ってもピンとくる人は少ないとは思うんですけど。

──エイベックスのサイトの記事なので、ぜひ業界的なことも含めてお聞きできればと。
 
角松 『VOCALAND』プロジェクトを制作した当時、エイベックスさんは社員もまだ少なくて、しかし、ものすごい潤沢な資金があって、その使い途をみんなが考えていたと思うんです。今とは何もかもが違う。CDの市場も大きかった。つまり、そういった時代の産物だったというところがまず一つあります。今、その頃のエイベックスの温度感みたいなものを知る人もほとんどいないと思います。

──時代や社会の気運みたいなものが、音楽業界を大きく動かしていた時代ではありましたね。
 
角松 ただ、そういうこぢんまりしたチームというのはいい部分もあって、この人はこれをやっている、この人はあれをやっているというふうに、人の顔が見えていたんです。でも、会社っていうのは大きくなればなるほど人格が見えなくなっていく。「大企業」になるとね。「中小企業」はそうではないけれど。
 
──いい意味で、ですよね?
 
角松 いいも悪いもないですよ(笑)。僕自身がその「中小企業」の人ですから。大きな提灯で祭り上げられることなくここまできたので、幸か不幸か、デカい経済の渦に巻き込まれたことがない。幸と言えば、面倒くさいことに関わることなく、割とハスで業界の動きを見られてこれたこと。不幸と言えば、この歳になっても一生懸命働かなきゃいけないこと(笑)。でも、だからこそ、日本のエンターテインメント・ビジネスにおける変遷みたいなものを、裏側も含めて俯瞰で見つつ、肌で感じてきたというところはあります。そして、そういうなかで、僕しか感じられないこと、僕にしか表現できないこと、僕にしか教えてあげることができないことが、確実にあるなと思っているんです。そういう背景があっての『VOCALAND』プロジェクトだったわけで、ここにきて「新たにそのリミックスを」とお声がけいただけたことは、素直に嬉しかったです。
 
──最初に申し上げた通り、『VOCALAND』の作品群からは音楽本来のさまざまな豊かさが感じられます。そのあたり、ご本人としてはどう分析されますか?
 
角松 最近よく、80年代の日本の音がいいの悪いのなどと取り沙汰されていますけど、必死に創ってきた人間にとっては、“So, what?”=「だから何?」という感じでしかないんですね。思えば、僕がデビューした当時の80年代初頭から、『VOCALAND』を制作していた90年代あたりまで、日本の音楽シーンには洋楽と邦楽の仕切りというのがハッキリありました。邦楽は洋楽を模倣するところから始まり、どれだけカッコいい模倣の仕方をするかがその価値になっていた。それが日本のエンターテインメント・ビジネスの根幹ですよ。多分これはまぁ、今風に言うなら「持論」でしかないのですが、戦争に負けたからだと思います。戦後急激に流入するアメリカ文化を吸収し、模倣や借用をして表現することが、自由の証となっていった。それがある種の力となって一種独特の音楽として形成された。それが80年代の本邦における大衆音楽の姿だと思います。もちろん、大衆音楽における文化の模倣というのは遥か昔からあります。ベートーヴェンだってモーツァルトに憧れて、モーツァルトの主題を使った作曲をしたりしてるわけだし、ビートルズだってエルヴィスに憧れて「あれっぽいことをやりたい」と真似してきた。そのエルヴィスだって黒人音楽を模倣したり借用したことで成功した。若き日の僕自身、ビートルズでさえそうしてきたと知ったときには、なんかホッとしたりもしました。「真似するって悪いことなのかな」と思った時期もあったので。
 
──ああ、なるほど。
 
角松 創り手の真意や心を理解しようとはせずに批判だけを並べる方々は昔も今も同じですからね。ちなみに僕はパクリという言葉や元ネタという表現が大嫌いでね(笑)。あれは古い昭和のエンターテインメントビジネスに関わっていたサラリーマンや評論家が、創り手に対して「俺たちのおかげで食ってるくせに」という揶揄的な心理から始まった隠語なんですよ。相身互いなのにね(笑)。それが一般消費者にも普及したことで可笑しな意味合いとして定着してしまった。僕を含めた多くの創り手は、誰かのやっていることを盗んで有名になろうと思っていたわけではなくて、その音楽が、その歌が好きで好きでしょうがなかっただけなんですよ。実はみんなそこからスタートしているんだってことを、次世代にも伝えられたらなと思ってるんです。「あ、これいいな」と思い、「どうやったらそうなるんだろう?」という模倣と借用の試行錯誤を積み重ねていくうちに、必ず自分自身のオリジナルが生まれるということを、身をもって体験してきていますから。「過程」こそが「創る」ということの醍醐味なんだと気づくことが、非常に重要なことだと思うんです。
 
──今おっしゃられた「好きで好きでしょうがない」が、『VOCALAND』にもたくさん詰まっています。
 
角松 「好き」の変遷を少し辿ると、’87年くらいから僕はにわかにプログラミングに興味が向くんですよ。おそらくティディ・ライリーがやっていた「ニュー・ジャック・スウィング」と全く同じ時期に、同じようなことを僕は僕でやっていた。ま、3年ほどでそれには飽きちゃうんですけど(笑)。ただ、『VOCALAND』の企画が上がった頃にはそういったサウンドが世の中に定着していたので、自分の持てる打ち込みのスキルを全部投入しようというふうに思いました。それが、最初に言及されたシンセサイザーの実機(※)の使い方にも繋がるわけですけど。

※「実機」 :Moog、Roland、Korgなど本物のシンセサイザーのこと。それに対して、コンピューター内で使うソフトウエア版シンセサイザーのことを「プラグイン・シンセ」と呼ぶ。

──ですよね。プラグインのシンセとは明らかに違う音!
 
角松 その醍醐味はしっかりと記録されていると思います。ただ、『VOCALAND』は僕が企画者で、制作した人間でもあるんですけど、実は「角松敏生」はその時期、活動を凍結していたんですよ。
 
──はい。そこはすごく伺いたかったところです。
 
角松 僕はそもそも、自分がスポットライトを浴びるのが嫌いだったんです。職人になりたかった、というのが本当のところで。だからこそ、凍結中の『VOCALAND』のオファーは嬉しかったんです。もちろん、凍結中に「角松敏生」を冠してプロデュースすることに抵抗がなかったわけではない。でも、僕はずっと、たとえばセルジオ・メンデスやクインシーのように、素晴らしいミュージシャンたちを集めて采配して更に歌唱においてもしっかりとアレンジ、ヴォーカル・ディレクションに関わる方向性の仕事ができればなと思っていましたのでね。そういった様々な所作は現在に繋がる大きな学びにもなりましたので、結果的にとても有難い経験となりました。シンガーのオーディションというのはすごく楽しかったんです。「この人がいい」、「あの人がいい」などと意見交換するなかには、もちろん「可愛い子を入れてくれ」みたいなメーカー側の意向もあって、そのバランスをとるのは大変でしたけど(苦笑)、最終的に参加してくれたシンガーの方たちは、みんな素直で努力家のいい人ばかりでしたね。ご縁も味方してくれた気がします。縁というのは仕事において非常に重要なファクターなのだということを学べたのも幸いでした。取り留めがなくなってきましたけど、結局、何が言いたいかというと、『VOCALAND』にはその時代のいろんな貴重な記録が入っているということなんです。
 
──話してくださった当時の音楽業界のムードから、レコーディング環境、シンガーのみなさんの当時の歌声、角松さんの当時の心境や音楽へのアプローチに至るまで、本当に貴重な記録です。
 
角松 僕自身は、自分の関わったマルチが残っているんだったら、基地である自分のスタジオで、できることなら全部完全にリミックスしたいくらいで、それはずっと思っていたんです。まぁでも、そこに価値を見出す人はいないだろうなと半分あきらめていました。そしたらなんと、「定年前に好きなことをやりたいと思いまして」という輩が現れまして。彼は現エイベックス社の社員ですが、『VOCALAND』プロジェクトの当時を知る貴重な生き証人ですね(笑)。
 
──シンクロニシティですね。
 
角松 「おー、それはいい心意気だよ。手伝うよ」って。それで今回の『VOCALAND REBIRTH~』が実現したんです。このご時世そんなに予算もかけられないということで、「原盤を使ったノンストップ・ミックスみたいなのはどうですか?」と提案され、「それは得意技!」と即答しました(笑)。その翌日には、デモ版を作ってみようと取り掛かって、ものの20分でザッと繋げちゃいました。
 
──それくらい全体像が見えていた?
 
角松 そうですね。デモ版にも即OKが出たので、それを元に細かく作っていきました。単純に繋げただけじゃなくて、キックを足したり、繋ぎのブリッジの部分ではプログラミングしたビートを加えたりしています。
 
──角松さんが提示するノンストップ・ミックスを聴けること自体楽しいんですけど、また37分強というのが、絶妙にちょうどいい時間で。
 
角松 タラタラ聴かせても、今の時代飽きられるだけですから。そもそも人間が集中できる聴覚の限界って44~45分なんですって。
 
──ちょうどアナログ盤のA/B面!
 
角松 そうそう。車でちょっと出かけるときに気持ちよくなれるくらいの時間にしてみました。ただ、本編だけだと37分強でアルバムというカテゴリーにはならないので、「なんとかなりませんか?」という相談がありまして、「なんとかしましょう」と、ボーナス・トラックとしてみなさんに喜んでいただけそうなたくさんの新鮮なバージョンを入れました。
 
──ご自身のニュー・アルバム『MAGIC HOUR』との別角度の連動があったり、デュエット用のカラオケもあったり。きっと車の中で一緒に歌って楽しむ方も多いだろうなと思いました。
 
角松 なんとかアルバムの体が保ててよかったです(笑)。
 
 
「我々世代の“宮大工”じゃないとできないことなんだ」と伝えたい
 

 
──ここからは「VOCALAND REBIRTH~」のサウンドについて、さらに掘り下げていきたいと思います。全編通じて一番感じたのは、ホーンのフレーズ、入れ方、ベースラインの持っていき方などに、角松さん好みの「マナー」が詰まっているということでした。
 
角松 ああ、ここでこう来てほしいというところにちゃんと来る、みたいなことですよね? 
 
──はい。
 
角松 わかります。ちょっと話それちゃうかもしれないんですけど、ウチの子供が今、思春期真っ只中の中3なんですね。彼女が今、聴いているものをたまに聴かせてもらったりすると、「はいはい。これ、みんな俺たちがやってきたことですから」って思うポイントがいっぱいあるんです。けっして悪い意味じゃなくて、今の若い世代の人たちも、先人たちから脈々と受け継がれてきたものを、無意識的に受け取っているんだなという、ある意味の感動がある。ただ、今、おっしゃったような「マナー」、来るべきところに来る音、その入れ方みたいな部分に関しては、彼らはまだ必死に模索しているところだと思うんです。でも、そこに対しては、「ごめん。あの音はね、実機じゃないと無理なんだ」というしかない場合も多くて。余談ですが過日、若いクリエイターがうちにあるヴィンテージシンセの実機から、とある音をサンプリングさせてくださいって持って行きましたよ(笑)。
 
──むしろ、そこを伝えたいと?
 
角松 と言いますか「あれは、我々おじいさん世代の“宮大工”じゃないとできないことなんだよ」と、音楽の時代背景や楽器の発達の歴史も含んだ形で伝えられたらなと思いますね。もちろん、往時の雰囲気をクリエイトできる器用な子もいるし、感覚的に素晴らしい子もたくさんいる。しかし我々年寄りが勘違いしてはいけないのは、そういった若者たちが「あ、こういう音を作りたい」と思ったときに感じる高揚感、トキメキ、見えている風景っていうのは、僕らの往時とは全然違うと思うんです。だから我々年寄りは、自分たちの嗜好が今の若者たちに理解されていると勘違いしちゃいけない。「俺たちの時代が帰ってきた」なんて絶対に思っちゃいけないんです(笑)。俺たちは俺たち、でいいんですわ。若い人たちが訊いてくれればしっかり答えてあげなければいけないし彼らに仕事場を提供することは大切ですが、年寄り側から若者たちにすり寄っていくような真似はしないほうがいい(笑)。
 
──本当にそうですね。
 
角松 当時僕が「曲を書きたい」と思ったときに思い浮かべてた渋谷には、今みたいに林立する高層ビルはなかったですし、街のあちこちには公衆電話ボックスが立っていて、道ゆく人たちはみんなタバコを吸ってた。そんな時代の風景を描いた“宮大工”的な音が記録されている『VOCALAND』のマルチは、だからこそ、博物館みたいなものなんですよ。
 
──まさにそうですね! リミックスするときには、当時のレコーディング風景なども甦りましたか?
 
角松 もう、いろいろ思い出しました。1曲ごとに甦ってきますし、同時に当時の自分のことも思い出すから、恥ずかしくてしょうがないんですよ。「若かったね~」って(笑)。ま、でも、「そこで何かを残せたんだったら、それでよかったんじゃないか」とも思います。そして、なんと言っても参加してくれたシンガーたちへの思い出が深い。現在のレコーディング方法ならヴォーカルに関しても、ある程度いいの録ったら、気になるところはあとでソフトを使って直しちゃいましょう、なんてことは常識的に行われていますが、当時はそんな便利なものなかったですから、いい歌が録れるまで何テイクもやる。『VOCALAND』のシンガーたちは本当によく付き合ってくれたと思います。僕は基本的には今もその手法なので、僕のスタジオで歌う若いシンガーからは「道場」と言われています(笑)。
 
──今とは機材が違うわけで、録り方も違うでしょうし。
 
角松 そうですね。今は何トラックか録って、そこからいいところを細かく切り貼りしていくということも簡単にできますけど、当時はトラック数に限りがあるから、コレ! というOKトラックを1本作って、あとは細かくパンチ・イン/アウトで仕上げていくんですよ。「私」という歌詞があるとしたら、歌のなかの「わたし」の「し」だけをパパンと録ったりね(笑)。つまりテレコの録音ボタンを素早く入れ抜きするわけですが、今はもう、それができるエンジニアがほとんどいません。
 
──パンチ・イン/アウトという言葉自体死語と感じる人が多いかもしれません。
 
角松 歴史を思えば、そうやって何テイクも時間をかけていいものを録るというのが、スタジオ芸術の基本だったと思うんです。ジェイムス・キャメロンが手がけたビートルズのムービー『Get Back』を観ても、「テイク45!」とかって平気でやっているわけじゃないですか? 「えっ、45回? そんなにやってるの?」って思いますよ。しかも、一発録りで。ま、そこまではいきませんでしたけど、『VOCALAND』のシンガーたちの歌を聴くと、「いろいろ苦労したけど、よく頑張ってくれたね。いい歌になってるじゃないか」って本当に思います。
 
──どのシンガーの歌声からも、丁寧に織り込まれた生命力みたいなものを感じます。そこが心地よさに繋がっているなと。
 
角松 そうですね、同時に思い出すのは、僕自身が好きで聴いてきた音楽、「歌、スゴいな」と思って聴いてきた音楽の本家本元の人たちを、『VOCALAND』という同じラインナップのなかに入れ込んだこと。日本の20代の女性シンガーのあとに本家本元のボーカルがくるというその対比が、自分でも「どうなんだ、これ?」って思ったりするんですけど(笑)、でも、今回あらためて聴いても、それが全然イヤじゃなかったんですよ。
 
──むしろ、そこがいいんですよ。両者をこんなにも違和感なくマージさせられるのは、角松敏生軸があるからだと思いました。
 
角松 で、これはさっきの時間をかける話と真逆なんですけど、やっぱりポーリン・ウィルソンの歌の素晴らしさといったら半端なくて、僕が“Take 1,please!”と言って歌ってもらうと、もう完璧に出来上がってるんです。せっかく来てもらったんだからと思って、“One more time!”とお願いしても、全く同じクオリティ。やっぱりスゴいなと思いました。ディレクションする側としては、素晴らしいから迷う。その贅沢が体感できたことを、今でも強力に憶えてます。
 
──ご自身の学びという意味でもいい時間だったんですね。
 
角松 信じてきたこと、考えてきたことに間違いはなかった、と、思えることがいっぱいありましたね。ちなみにポーリン・ウィルソンに歌ってもらっている「WHAT CHA DOIN’」と「THE TWO OF US」に関して、ホーンはジェリー・ヘイにやってもらってるんですよ。つまり、まんまSeawind Horns。

(※)ポーリン・ウィルソンとジェリー・ヘイは過去、Seawindというグループにともに在籍していた。
 
──そうなんですか!
 
角松 とにかく奇跡的にスケジュールが合ったんです。同じスタジオに、ポーリン・ウィルソンとジェリー・ヘイがいる光景っていうのは、僕からしたら夢のような図なんですよ。当時アメリカではすでに、ミュージシャンが一堂に会するセッションはレアだったようで、彼らはお互い「久しぶり。同窓会みたいだね」って言い合ってる。目の前でそんな姿を見られたのも貴重でした。仕掛けたのは自分なんですけど、本当に嬉しかったですよ。
 
──あの2曲が収録されているSeawindのアルバム『Seawind』のリリースが1980年、角松さんの『VOCALAND』プロジェクトが’96,’97年、そして今、2024年。時代とともにあった空気感やストーリーに思いを馳せられたことが、とても嬉しいです。呼びたい人を呼び、やりたいことができたのも、やはり予算がふんだんにあったから?
 
角松 そう! なんつったって90年代のエイベックスですから(笑)。じゃないとできません。ミュージシャンだけじゃなく、ミックスにも、僕自身絶対一緒にやりたいと思っていたグラミー賞受賞エンジニアのクリス・ロードを呼ぶことができました。彼の名を冠したミックスのプラグインは、今やDTM界では超有名なんですよ。その背中を見られたことが、どれだけ勉強になったかわかりません。思えば、『VOCALAND』の構想を練るためのデモテープ作りだけでも1年かけましたから。その最初から最後まで、「ここちょっと制作費抑えてください」なんて言われたことは一度もなかったんですよ。本当にやりたい放題やらせてもらいました。
 
──そうやって角松さんの「好き」が際限なく集められたんだなと思うと、また興味深く聴くことができます。
 
角松 僕はインストもいわゆる歌モノもどちらも好きですけど、歌モノをやるんだったら、やはり歌だけじゃなく、ちゃんとトラックの隅々までが聞こえてくるように、丁寧に時間をかけてしつらえたいという思いは常にあるんです。そこは『VOCALAND』でも貫いてます。ただ、心残りもあって。
 
──えっ、それは何でしょう?
 
角松 やっぱりね、なんかほとばしっちゃってるんですよ。音を入れすぎ(苦笑)。もっと整理したら、ちゃんといいところが聴かせられるのにという反省はありました。そこもリミックスしたかった理由のひとつです。ま、でも、そのちょっと暑くるしい感じが、時代の象徴、僕の特徴だったりしたのかなと思います。
 
 
まだまだやれるうちに、やれることを、やれるだけやっていきます。
 

 
──今回本編はダンスミックス的な装いになっていますが、ボーナス・トラックには吉沢梨絵さんとの名デュエット・ナンバー「Never Gonna Miss You」の新ミックスと、主人公二人のその後を歌った新曲「May your dreams come true」も収録されています。
 
角松 梨絵ちゃんは、最初にパッと歌ってもらったときからダントツに光ってたんですよ。「これは生まれつきだね」ってなんか嬉しくなったのを憶えてます。僕自身がヴォーカリストとしてすごくコンプレックスを抱えてきた人なので。
 
──コンプレックスですか!?
 
角松 80年代は歌で前面に出ていましたけど、自分の歌は大嫌いだったんです。全部録り直したいくらいですもん。デビュー当時と今とで、歌手としてこんなに違う人はいないと思います。それくらい、最初はただもう引っ張り出されて、気がついたら「えっ、俺、歌うんっすか?」という世界でした。自分の歌が好きになり始めたのは、それこそ『VOCALAND』でコーラスをやり始めた頃です。そんな人間でしたから、何度も言いますけど、天性の歌のギフトを持っている人に出会うと、ただもう嬉しくなっちゃう。梨絵ちゃんはまさにそういう人。で、僕は嬉しくなると、ついついデュエットしたくなっちゃうんです。
 
──アハハハ! それであの「Never Gonna Miss You」が生まれたわけですね。
 
角松 そう。活動凍結してたくせにね(笑)。それがきっかけで、いまだに梨絵ちゃんとはいい仲間でいられています。彼女は今やミュージカル界のスターですけどね。主役もアンサンブルとしてもしっかり積み重ねてきたことで、声帯の筋肉もどんどん鍛えられて、目覚ましい進化を遂げていると思います。
 
──さて、リミックスは今後も手がけていきたいですか?
 
角松 貴重な記録が収められているマルチを持っているレコード会社さんには、「使い途をもっと考えましょうよ」という提案はしていきたいですね。プロデュースさせてもらった中山美穂さんの’88年のアルバム『CATCH THE NITE』なんかは、ぜひリミックスしてみたいですけど、いかんせん自分の原盤ではないので、いつかそんな依頼がくればいいなと。
 
──残していくって重要なことですよね。
 
角松 その日暮らしの若い頃には、そんな発想はなかったですけどね(笑)。とはいえ、堅苦しい感じでもなく、自分自身が常に最新の環境で制作を続けているなかで、単純に「今、あのマルチをリミックスしたらどうなるかな?」と思うし、マルチに封印されている貴重な記録を、もっと多くの方々に聴いてほしいとも思うんですよ。今回の『VOCALAND REBIRTH~』にも、故人となった方たちの素晴らしい演奏が収められています。ギターの浅野祥之さんは、「NIGHT BIRDS」のソロを完コピしてくれてますし、「サヨナラはくちぐせ」の中盤、バンプセクションでずっとグルーヴィーなベースを弾いているのは青木智仁さん。あれはもう聴いて涙する人がいっぱいると思います。二人は僕のバックバンドメンバーでもありました。
 
──私も青木さんの姿を懐かしく思い浮かべました。そういう意味でも博物館ですよね。
 
角松 なので、遺す意志がある人がいるなら、それを形にする体力があるうちにやるべきだなと思います。できれば、「その時代」を知っている人がやったほうがいいわけですからね。ビートルズばかり引き合いに出してしまいますけど、彼らの作品は今もどんどんリメイクされているじゃないですか? でも、それは、当たり前ですけどジョージ・マーティンじゃなくて、「その時代」を知らないずっと後世の人が手がけてる。なので、元気なときに、遺していく作業に何らか関われたらなとは思ってます。
 
──「解凍」後は、もうずっとコンスタントに活動を継続されていますが、モチベーション維持の秘訣はありますか?
 
角松 ビジネスの話にもなっちゃうんですけど、最初に申し上げた通り僕は「中小企業」ですから、例えて言うなら、お客様から信頼していただけるモノを創っている、そのかぎり顧客は一定数絶えない、そう思うのです。そこを大切にして続けている感じですね。ビッグビジネスを成功させて高いワインを飲みたいとか、高級車に乗りたいとか一切ないので(笑)。身の丈に合った仕事を着実に続けられる時まで続けようと思うだけです。
 
──なるほど。
 
角松 20代の頃、僕はエコノミークラスに乗ってワクワクしながらNYに行きました。降りるとき前方のビジネスクラスを、「広いなぁ」なんて横目で眺めながらね。で、ある日ようやくビジネスクラスに乗れる日が来ました。そりゃ天国ですよ(笑)。体を伸ばして眠れるし、ご飯も美味しいし。そうなるとファーストクラスも味わってみたくて、一度自分のお金でファーストクラスに乗ったことがあるんです。そしたら、足が届かないくらいシートは広いし、シャンパンだってキャビアだって好きなだけ飲み食いできる。でも、なんか僕には息苦しかったです。僕はビジネスクラスのほうがいい。その代わり、絶対ビジネスクラスに乗れるくらいの経済力はキープし続けようとね。そうやってずっとやってきてるんです。エコノミークラスに戻らないための努力と言いますかね。そういう心構えが大事かな。ま、エコノミークラスじゃないといけなくなったら、そもそも飛行機に乗って海外とか行かないです(笑)。
 
──それがつまり、「角松印の作品」。「職人になりたかった」が、今、成就されているんですね。
 
角松 でもね、休めないんですよ。CDが売れてた時代は、1枚出したら半年くらいは遊んでいられたんですけど、今はもう何かしら考え続けていないとダメですから。自分を強いてでもそうしていかないと食っていけないなと思ってます。というか、ある一定の年齢に来ると、たぶん、そうでもしないと何もしなくなっちゃうと思うんです。これは、僕のライブに来てくれる同世代のお客さんにもよく言ってることなんですけど。
 
──噛み締めます(笑)。
 
角松 もちろん、休息は必要ですよ。でも、「今日は何もしない!」と決めて、丸一日スマホゲームで終わったときは焦りました。「俺、何もしないと、そのまま何もしないで終わっちゃう人なんだ」って、ゾッとしましたよ(笑)。だから、やれるうち、やれることを、やれるだけやっていきます。
 
──多岐に渡る貴重なお話、本当にありがとうございました。
 
角松 久しぶりの取材なのでたくさん喋っちゃいました(笑)。
 
 
 
 
『VOCALAND REBIRTH Extended Mix by TOSHIKI KADOMATSU』
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藤井美保

ライター

藤井美保

神奈川県生まれ。音楽関係の出版社を経て、'83年頃から作詞、作曲、コーラスなどの仕事を始める。真沙木唯として佐藤博、杏里、鈴木雅之、中山美穂などの作品に参加。90年代初頭からは、音楽書籍の翻訳やライターとしてのキャリアも。音楽への愛、作り手への敬意をしのばせた筆致で、数々のアーティストを紹介してきている。