■配信シングル
1. 桜をごらん
2. 笑ってやる
※「
KEIKO LIVE K002 **Lantata*咲いたよ**」のCD1にも収録されております!!
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「桜をごらん」の楽曲提供をしてくださった、
つんく♂さんからメッセージをいただきました!!
「桜をごらん」つんく♂ライナーノーツ
昨年(2020年)11月28日。
シャ乱Qのデビュー当時所属していたレコード会社はBMGビクター。
僕らの担当ディレクターのデスクのすぐ横にいかにもレコード会社の社員!って感じのお兄さんが居た。いつも忙しそうに電話したり、他のスタッフとおしゃべりしたり、ちょこまかとずっと動き回ってるイメージの人だった。
僕が作った曲を持ってレコード会社に行った時、その人と直接仕事したわけでもないが、忙しそうにしながらも時折声をかけてきてくれた。
大阪から出てきたばかりの僕にとってそういうなんてことのない声掛けは嬉しいものだった。
「ヒット曲が書けるようになったら曲を発注するよ!」
なんて冗談を言いながらも、売れる前の僕らに対してたとえ芸能界の端っこにいた僕であってもしっかりとアーティスト扱いで声をかけてくれるというのは今でも覚えているものだ。
それから30年。
数年前に僕が歌うま歌手を探している時にBeverlyという歌の上手い新人歌手のプロデューサーをしていたのがその彼だった。
音楽プロデューサーの与田春生さん(53歳)
懐かしい。
お互いおじさんになっていたが・・・(笑)
そこからBeverlyの曲を仕上げたわけですが、本題に入ります。
冒頭に話した昨年の11月に久しぶりに彼からのLINEが入った。
「今、新たにKEIKOという歌手のプロデュースをしているんだけど、楽曲の相談がしたいんだけど・・・」と。
調べてみると、元Kalafinaのメンバーで、実績のある歌手です。
へ~面白いです。ぜひ、お話しましょう!
こういうのって、こんなざっくりした入り口があって、そこから半年くらいかけて本人とも会ったり、アーティストの所属事務所ともご挨拶したりして、どっこいしょ!って感じで進んでいくもの。
11月末のその会話もそのままストップとなってましたが、「まあ、2021年、じっくり進めていくような案件でしょう」くらいに思って、深く考えもせず新年を迎えようとバタバタしていました。
そんな2020年も後数日で終わろうという年末12月27日にKEIKOのシングル曲の作詞作曲の発注依頼書が届いた。
え?!もう進めちゃうわけ?!
ご時世なのか、それとも今思えば与田氏の気質なのか、本人とも、事務所の誰かともご挨拶なきまま、進んでいく気配。僕はいいですけど、いいんですね、その儀式的なやつは。
(今思えばやっぱ与田さんの気質だわ。これ(笑)。)
しかも「1月末完パケで、何卒・・・」
WA―O!
確かに新人の頃「ヒット曲がかけるようになったら発注するよ!」と約束したけど、こんな高速なのは聞いてない!
なんて思いつつも。
KEIKO の素材を見れば見るほど面白い。
精神的には年末に曲を書こうかとも思ったけど、他の締め切りもあったので、少し書き始めたが一旦ギターをおろして、年を跨ぐことにした。
1月4日。
三が日だけは家族サービスさせていただき、作曲に取り掛かった。
彼女の声のレンジも聞いていた。
太めの声だが高い音が出ないわけでなく。
逆にその高音の方がやけに色っぽい。
オーダーに関しては、こうだ。
「桜」の曲が欲しいわけではないが、自身も事務所の移籍やレコード会社からの再出発の時期でもあって、桜の季節「春」をテーマに、「スタート」や「再出発」「門出」に相応しい曲が歌いたい。
はやすぎず、バラードでもなく、未来志向のミディアム(BPM90くらいで)。
と、細かそうで、でも、アンニュイなオーダーだった。
作家として、実に心地よいオーダーです。
多すぎず、細かすぎず、抽象的すぎでもなく、完璧なディレクション!
短調か長調かの指定はなかったけど、「春」「桜」のイメージでマイナーもないし、メジャーだとしても、きっとど明るいのはタイミングじゃないなぁ。
って思ったので、「感極まる涙いっぱいの笑顔」を想像しながら曲を書いていくことにしました。
作家にとってど明るいメジャーソングって、そんなに難しくないっていうか、ある程度、ゴールが見えるんですが、その手前に少し哀愁を込めていくのが難しい。
入れすぎると暗くなるし、ないと流れていく。
その匙加減を吟味しながら、進めていきました。
作ったのは1曲ですが、最終的な時間も押し迫っているので、ミスややり直しになると、最終的にみんながへばっていくので、1球入魂で3曲分くらいの時間と頭脳を使って、仕上げていきました。
どうだ!
と与田さんに聞いてもらいます。
(発注依頼からここまでで約10日間)
1月半ば、返事がありました。
要約するとこうです。
「スタンダードなのに随所にエッジがきいてて、めちゃいいですね!!!引き続き、歌詞も楽しみにしています!」
と、「お!曲は気に入ってもらえた。でもすぐ歌詞だ。
なんとなくトライアスロンです。
水泳(作曲)終えて、すぐ自転車(作詞)。
最後にマラソン(普段ならばバックトラック仕上げて、ボーカルダビングからトラックダウンに至る)という流れ。
今回は最後のマラソンから与田氏にバトンタッチするんですが、とはいえ、トラックが出来るたびに確認。ボーカルが入ると確認。
トラックダウンも確認。と今回KEIKOを中心に、僕と与田さんでほぼずっと伴走してましたね(笑)。
で、作詞の話に戻りますが、突っついてくるだけ流石に自身の作業も早いです。今回は僕はアレンジの担当ではないので、それを進めるのは与田氏なんですが、半ばに渡した曲にものの数日で、仮歌が入れられるようにアレンジが進んでました。
仮のアレンジが届いたと同時に、「で、歌詞は・・・」と書いてあるので、
「今、送ったとこですよ!」と返事しました!
むふふ。
計画を立てたら、しっかり作業進めるのもプロの仕事!
1月20日の出来事でした。
「桜」とか「卒業」「門出」「スタート」ってなると、なんとなく意味なき応援歌が多くなるですが、KEIKOもパッと出てきた新人でもなく、紆余曲折あったわけで、そんな滲み出てくる哀愁が歌手としての色気でもあるわけなので、いわゆるつんく♂の王道路線という方向ではなく、でも、変に大人びず、しかし、難しい言葉を使わないで、結果、アーティスティックに仕上げるというなかなかの難技にチャレンジしてみたわけです。
一番意識したのは「背のびしない」「難しいニュアンスを出さない」です。
歌手がイメチェンや、方向転換する時って、なぜか服装が黒っぽくなって、英語が多めの歌詞になったり、抽象的なちょっと意味深な歌詞を歌ったり、ちょっとアングラな作家に発注したり、首を傾げたくなることが多いんですが、KEIKOも与田さんもあえて僕を指名してきたってことは、「ここはひとつプロ志向のパキっとしたのをお願いします」って意味だと受け取ったので、難しくならないように。
でも、哀愁感を持たせる。
「桜」や「春」がモチーフですが、一年中いつだって感じる感覚を歌にしたい。
人間の孤独感や寂しさ、他人にわかってもらえない自尊心みたいなものを詰め込んでいきました。
大の大人が「部屋にこもってた」とか「学校のせい」とかってどう思いますか?!ってKEIKOや与田氏に確認したんですが、そこがとっても気に入ってるって返事もらえたので、自信にもなりました。
こういう箇所って一番修正かけられるポイントなんで、そこを気に入ってもらえたので、全体を迷うことなく仕上げることができました。
毎日がスタートであって、何度でもスタート出来て、ラッキーパンチは瞬間的なラッキーでしかなく、本当の未来は毎日の積み上げでしかない。
そういうメッセージをKEIKOという素晴らしい歌手の次なる門出へのはなむけとして書かせていただきました。
昨年から続いているコロナのこの状況からの打破はほんの少し努力したところで解決しないことはみなさんもご承知のことと存じます。
桜は1週間 花を咲かせるために1年準備をします。
僕らも楽しく素敵な未来のために1年でも2年でも準備をしなければならないということを再認識されられたのが、去年から今年の出来事だと思います。
歌詞の出来上がりから、仮歌を聴いて、数カ所の手直しとメロ修正(いいアイデアが浮かんだので)、そこにコーラスを積んでもらって、フェイクや歌い回しのやりとりをして、中年おじさん二人も伴走しながらそこそこヒーヒーフーフー言いながら、完成。
KEIKOの素晴らしい歌声がこの世に素敵な花を咲かせてくれることを信じて仕上がったのが1月28日のことでした。
P.S.
曲を渡して、あとはお願いします!
ならさておき、こんな伴走の仕方で、こんな短期間で仕上げたのってあったっけ?なかったなぁ~。
そんなスピードなのに、しっかりずっしり仕上がってます。
これは間違いなくKEIKOの歌の的確さがそれを物語ってます。
彼女の歌声がふわふわしていたら、間違いなく、こうは聴こえません。
これは、まさしくこの短期間で曲を自分のものにしてくれた歌手KEIKOだからこそ、なせた技です。
それを改めて称させていただきます。
KEIKO、ありがとう!!
P.S.のP.S.
「なんだ、つんく♂そのスピードでできるじゃん」って思わないでください。
これはたまたま年末年始の間に自分の時間をとってあった、その隙間にハマったからでございます。
P.S.のP.S.のP.S.
で、そんなこんなで曲が出来上がって、そこまでも当然KEIKOともやりとりすることもできたんですが、あえて変な感情が入っても作品作りが弱まるので、完成するまでは連絡し合わないで進めましたが、完成後に与田氏含めてLINEグループを作って、改めてごあいさつ&会話をしました。
ほんの少しの「松浦亜弥」トークとともに、「桜をごらん」に惚れてくれた話をしてくれました。
僕はほっこりしました。
そして、彼女には坂本龍一さんとのコラボ曲「My Hero~奇跡の唄~」も歌ってもらうことにもなって2021年以降、ますます音楽活動が楽しくなるなってそう思った2021年の僕にとっての「スタート(門出)」でございました。
■つんく♂
1968年10月29日生まれ、大阪府出身。
1992年にシャ乱Qでメジャーデビュー。
その後、ハロー!プロジェクトを始め数々のアーティストのプロデュースや楽曲提供、サウンドプロデュースを手掛け現在国民的エンターテインメントプロデューサーとして幅広く活躍中。
■与田春生
1967年5月25日生まれ、東京都出身。
1997年、九州のオーディションで当時18歳の女の子をスカウト。MISIAと命名しセンセーショナルなヒットを生む。以後、女性シンガーを中心にプロデュース活動を展開。