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十五少女

構想から4年のプロジェクト「十五少女」はまだ始まってなかった!?

2023.03.22
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音楽
インタビュー
講談社、大日本印刷、エイベックスによるメディアミックスプロジェクトとしてスタートした「十五少女」。15人の少女たち一人ひとりにフォーカスした物語で構成されていて、音楽、小説、オーディオムービー(音声ドラマ)、ショートアニメなどさまざまな要素で展開されています。これまでは音楽を中心に断片的なパーツが少しずつ明らかにされてきましたが、このたび15の楽曲と約60分の音声ドラマからなる2枚組1stコンセプト・アルバム『SILENTHATED』がリリース。楽曲の歌唱は「歌唱担当CV」mzsrz(ミズシラズ)の5人が担当し、音声ドラマには豪華声優陣が参加しているこの作品。今回は「十五少女」全体のコンセプトや展開について、原案者である内芝泰葉さんにお聞きしました。「難解」「謎だらけ」と言われている「十五少女」のキモが、これで分かる!?
 

今までの展開は「著しく順番を間違えてる」!?




──この取材にあたって資料を送っていただいたら、PDFが102ページあって、ものすごい情報量で驚きました。
 
内芝 容量も370MB近くあります。あの資料はファンにも公開してるんですよ。しかも公開バージョンはもっと情報量が多くて、約1GBあります(笑)。
 
──そうなんですか! ただ情報量と要素が多すぎて、「十五少女」というコンテンツの概要が正直、まだ掴み切れてなくてですね。無理を承知でお聞きしますが、このコンテンツを簡単に説明するとどういうことになりますか?
 
内芝 端的にお伝えすると、基本的には、音楽と物語を通して「ジュブナイル作品」を、それを必要とする人に届けたいという企画です。
 
──「ジュブナイル」という言葉は、資料でもすごく熱量を割いて説明されていましたね。
 
内芝 これによってもたらされるものを私たちは「ジュブナイル効果」と呼んでいるんですが、その効能はたった一つなんです。読者や視聴者の絶望を失望ぐらいにはアップデートするという、そのたった一つ。
 
──絶望から失望に、ですか。
 
内芝 「絶望」というのは望みが絶たれるということで、もう終わりじゃないですか。一方、失望というのは望みを失うということで、これは何回あってもいいと思うんです。「十五少女」のキャッチコピーにも「諦めは何度でも憧れに生まれ変わる」というフレーズがあるんですが、例えば、バンドを組んで音楽のプロを目指していた人がその道を諦めることで、レコード会社のスタッフになって別の誰かの夢をサポートする仕事に就こうとする。今度はそれも叶わなくて、結局、音楽とは全く別の仕事に就く。実は最後の人が一番多いと思うんです。それでも、ずっと音楽が好きでコンサートに行ったり、定年退職した後にまたバンドを始めるかもしれない。そういう、諦めが新しい夢を生む現象ってあると思うんです。
 
──多くの人に、何らかはありそうですね。
 
内芝 だから、諦めという失望は始まりに繋がる終わりで、それは絶望とは明確に違ってて、絶望は失望から生まれる新たな希望への連鎖が絶たれるって意味で、それはかなりしんどいと思うんです。私は、その絶望を失望レベルにアップデートする「憧れ力」を呼び覚ましてくれるのがジュブナイルというジャンルの本質だと思っています。有名なものでいうと「ピーター・パン」とか「十五少年漂流記」とか。大人と子どもの間の世代、「ヤングアダルト」などとも呼ばれますが、十代の少年少女たちが大人の世界、つまり「社会」と……戦うというよりは、そこから逃げ出そうとする。逃げ出して自分たちの理想の世界を作ろうとするんですけど、ここが大事で、必ず失敗して終わるんです。
 
──ああ、確かに。
 
内芝 必ず最後は現実世界に引き戻されるんです。「時をかける少女」もそうです。「君の名は」にしても、主人公は隕石から街を救ったヒーローなのに、最後は就職活動をしてる。そんな風に、最後に夢や希望だけを与えることが大事なんじゃなくて、むしろ「いつかは君たちも憧れに敗れたまま社会に溶け込んでいける」というメッセージの方を重要視しているのがジュブナイルなんです。「ピーター・パン」でも、ピーター・パン以外は全員、現実世界に戻って終わるんですよ。ピーター・パンだけがあっち側に残るという、悲しい終わり方をする。そのおかげで「ピーター・パンみたいに生き続けるのはちょっと辛すぎる」「ずっと子どものままでいたら、こんな切ない人生になっちゃうかも」という受け取り方が生まれる。あえてバッドエンドにすることで、いつかは大人の世界に溶け込んでいかなきゃいけない可能性があるけど、大丈夫だよ、と暗に教えるのがジュブナイルなんです。十五少女では、それを「透明なまま濁っていける」と表現しています。
 
──というと?
 
内芝 つまり、大人になっても純粋な部分はずっとあるんだよと。子供の頃は「夢や希望に敗れて我慢して生きていくなんてできない」と思っているだろうけど、たぶんできるから絶望しないでね、ということなんです。それがこのプロジェクトのメッセージの全てで、これはずっと言い続けてるんですよ。それに対するアプローチとして音楽だけでなく、物語が絶対に必要で、さらにそれを終わらせる必要があるんですが、実は「十五少女」は、その大事な物語を始めていもいないんです。そこがややこしくて。
 
──ほう。
 
内芝 例えば、私が好きなジュブナイル作品「スタンド・バイ・ミー」も、物語は小説でも映画でも数時間で完結するんですが、私は今も映画で流れる音楽に励まされ続けてるんです。物語は必ずいつか終わるけど、音楽はその後の人生にずっと残っていく。それを私たちは「伴走歌」と呼んでるんですが、映画のBGMだったはずの音楽が、いつしか観客の人生のBGMになる。「伴奏」だったものが「伴走」になるんですね。「十五少女」がややこしいのは、先にこの音楽を出しちゃったことにあって、著しく順番を間違えてるんです。
 
──「著しく順番を間違えてる」ことをこんなに堂々と言う人は初めて見ました(笑)。
 
内芝 いやまあ(笑)、著しく間違えてはいるんですけど、よく考えた上で、音楽が、小説や音声ドラマが完成するのを待つ必要はないって方針を取ったんです。音楽だけでもジュブナイル効果を得られる人がいるかもと思うと、リリースせずにはいられなくて……。結果、映画が全く始まってないのに、「主題歌です」「挿入歌です」って、音楽だけがバンバン出てるみたいな状況になって……
 
──それは確かに斬新ではありますね(笑)。
 
内芝 斬新というより、実情は混乱を呼んでしまってます(苦笑)。でも、この3月からはようやく物語が世の中に出始めるんです。そこからはいわば通常の形に戻るわけで、一気に分かりやすくなるはずです。
 
──それは、すでに講談社から公開されている円居挽さんと望月拓海さんの前日譚小説とはまた別なんですか?
 
内芝 その内容も含みつつ、本編のストーリーは別にあります。あの前日譚小説も順番という面では本来とは逆なので。

──何と(笑)。
 
内芝 先ほど例に挙げた「スタンド・バイ・ミー」も、本編のストーリーがあるからこそ、4人の主人公たちの一人ひとりについて「こういう人なんです」というスピンオフが成り立つと思うんです。「十五少女」の前日譚小説は、いわばそのスピンオフから先に出してる状態なんです。これまた順番が違うんです……。
 
──……。
 
内芝 元々は私の書いた原案を元に小説化すると聞いてたんですが、講談社さんから、せっかく魅力的なキャラクターがいるので彼女たちの背景を深める前日譚を書くのはどうか?というご提案を頂いて、それはすごくいいですね!となって……。当初、前日譚を本編であるオーディオ・ムービー(音声ドラマ)の伏線にするつもりはなかったんですが、結果的にそういう構造になった部分もあります。ただし、前日譚小説を読んでから音声ドラマを聞いても、逆に、音声ドラマを聞いてから小説を読むのも楽しい内容になっています。
 
──通常の形というか、物語の本編が出揃ってから音楽やスピンオフ、という形で出そうとは思わなかったんですか?
 
内芝 そこは正直、あえて分かりづらくした部分はあります。なぜなら、受け取る側が分かりづらいものを追いかけること自体が、ジュブナイル効果を生むかもと思ったからで。物語が謎であることによって、大袈裟かもしれないけど「この謎が解けるまでは生きていよう」と思えるかもしれない。少なくともこの物語が終わるまで、絶望はしないでいられるかもしれない。ファンになって下さった方々にいろいろつらいことがあっても、「十五少女」の存在によって、失望レベルにとどめて絶対に絶望はさせない、というのは、このプロジェクトにとっては、何よりも優先させるべき覚悟であり矜持なんです。
 
──なるほど。
 
内芝 だから、考察系にしたい訳ではないですが「どうなるんだろう」「どういうことなんだろう」と最後まで追ってもらえる作品にすることで、絆をつないでおきたいという意図はあります。そして、ジュブナイル効果のあるエンディングにするという面では、絶対に裏切らない作品にすることを常にお約束しています。「エモい」って言葉って抽象的ですけど、おおよそ心が動かされるって意味じゃないですか。ここからの「十五少女」は、エモい物語にエモい音楽があって、その物語に共感して同期してもらいながらも、たとえ、どんな形であろうともそれをきちんと終わらせていきます。その時に、ファンの皆さんにとって、青くさい心を宿したまま明日へと進む、イコール大人になっていく、あるいは、大人として生きていく何らかの活力になれば、これ以上に価値のあることはないと思っています。
 
──ここからは分かりやすく楽しめますよと。
 
内芝 このプロジェクト、構想がスタートしてからもう4年以上も経ってるんです。音楽やスピンオフを先に出したことで著しく混乱を招いているとは思うんですけど、それはいたずらに混乱させたかったというわけではなくて、この4年の年月を手遅れにしたくなかったという気持ちからなんです。
 
──手遅れ?
 
内芝 全体像が整うまで待つのではなくて、音楽だけでも先に出しておくことで、もしかしたらその期間に、音楽の力で絶望を失望にアップデートできる人もいるかもしれない。それが私の願いだったんです。
 
 
今回の音声ドラマは、全体の物語の20分の1!
 
 


──ここまでの意図については、かなり分かりました。そもそもなんですが、これだけのプロジェクトはどういう形で始まったんですか?
 
内芝 もちろん、全ての発端は「ジュブナイル」です。ジュブナイルというものが今までお話ししたような効果を持っているのではないかと。私自身も人生に絶望した時期があって、その絶望を失望まですくい上げてくれたのは間違いなくジュブナイルの物語たちだったんですね。そして、その物語には必ず音楽が流れていた。物語だけではなく、音楽も一緒にやりたいということで原案ができていきました。常にその中心に据えていたのが、「青さ」と「痛み」。エモさには、やっぱりどうしても「青さ」と「痛み」がつきまとうんですよ。ここでの「痛み」というのは大人になる痛みですよね。そこに、いわゆる「厨二病」とか「ピーター・パン・シンドローム」と言われるような子ども目線の痛さもあって、その相反する2つが戦ったり、時には理解し合ったり、という過程を経て、絶望を失望の連続まで上げることで、社会で生き辛さを感じた時の心の支えになれればなと。
 
──なるほど。
 
内芝 この物語の中でも、「終わりの先が怖い」という意味合いの言葉を、複数のキャラクターが言うんです。打ち込んできたものが、何らかの挫折によって終わってしまった。終わること自体は怖くないんだけど、その先の人生を考えると怖くなるわけです。例えば20歳で夢が終わったとすると、人生100年時代といわれている今、あと80年も生きなきゃいけないのか、とか。例えばギャルの多くは、いつかは大人になってギャルを卒業して、時には髪を黒く染めて生きていかないといけない。でもまあ、大人になってからも楽しいことは待ってますよ、とは思うんですけど(笑)。ただ、あるとしてもそこまで行けるかどうかというのは、その真っ只中にいる人たちにとっては一大事じゃないですか。それを私は「日常の非常(非情)」と名付けたんです。多感な時期というのは、日常の中にそういう非常事態が常に潜んでいるものだと。そういうところに寄り添いながら、せめて絶望に行かないように、というのがずっと一貫していて。それを物語と音楽でやろうと。
 
──そういうことなんですね。
 
内芝 今の時代、物語の伝え方ってたくさん方法があるじゃないですか。アニメもあれば小説もある、漫画もある。「十五少女」はまず小説から出してますけど、受け取る側の人たちと一番接地面が大きいのはアニメだと思うんですね。最終的にはそこを目指したいんですけど、始まったばかりの新規プロジェクトなので、そこまでの予算がついているわけではなくて。ここからマーケットが支持してくれれば、そのお金も出るだろうということで、まずは今ある予算の中でできることを最大限やっている状況です。音楽や小説、そしてショートアニメがそれですね。その中でも、最初に出来た音楽とスピンオフ(前日譚小説)を先に出してしまったことが混乱を招いており、申し訳ないと思ってます(笑)。
 
──それが現状ですね(笑)。
 
内芝 でもそのおかげで、アーリー・アダプターと呼ばれるような人たち、「よく分からないからこそ好き」という、私に取ってとても優しい人たち(笑)が、古参になりたいとか先物買いというのとはまた違った感覚で接してくれていて。とても有難いと思っています。私たちはその人たちを裏切るようなことは絶対にしません。最初から応援してくれている人たちが、物語が進んだ時に「ニヤッ」とできるようなものをすでに入れています。そうやって最初から見てくれていた人たちならではの楽しみ方もあるし、とはいえ今後はもうちょっと分かりやすく展開していくのも必要だと思っています。
 
──今回、楽曲のCDと音声ドラマのCDが2枚組(MVなどが収録されたBlu-rayとの3枚組もあり)でリリースされますよね。その内容から分かることというのは、全体の物語の中でどれぐらいの割合なんでしょうか?
 
内芝 それは明確で、物語としては全体の20分の1ですね。ただ音楽は、これ以上作るかどうか、現時点では決まっていません。
 
──20分の1! ということは……
 
内芝 はい、音声ドラマは、本当にあとCD19枚分の分量がないと完結しないんです。
 
──あと19枚やるんですか?
 
内芝 まず10枚分は、絶対にやります!現時点で、音声ドラマを少なくともあと9枚分作る予算はあるので。それをフィジカルで出すか、配信で出すかは別として、10枚分の内容は確実に作れます。残りの10枚分はまだ予算は出てないんですが、あまり想像したくはないですが、一人でもファンがいてくれれば、最後は小説をツイッターでアップする形になったとしても、必ず終わらせます。ちなみにラストシーンはもう決まっていて、先日、そこだけをアニメ化して公開してみました。
 
物語のラストシーンが描かれた「音声ドラマ - Teaser Movie」

 
 
──そこは決意があると。
 
内芝 そこまで追いかけてきてくれた人たちと一緒に終わりを迎えないと、ジュブナイル効果は発動しませんから。だから、必ず終わりまではやり遂げますが、それが最終的にどういう形になるのかは……「皆さんの応援次第」という言い方は好きじゃないんですけどね(笑)。いずれにしても物語はちゃんと終わらせます。そして音楽は永遠に残ると。そこはご安心いただければと思います。ただ、皆さんの応援のもとで最終的にアニメ化を目指してるということは、最初から公言してますから。
 
──支持を得て、アニメ化までたどり着きたいということですね。
 
内芝 なぜアニメ化したいかというのも、「その方が儲かるから」とかでは本当にないんですよ。なぜかというと、しつこいですけど、その方が絶望を失望に変えられると思うからなんです。より多くの人の絶望を。売り上げや利益ファーストでもなければ、クリエイティヴ・ファーストでもない。あくまでジュブナイル・ファーストなんです。
 
──もちろん、会社のためにもプロジェクトのためにも、利益がたくさん出た方がいいでしょうけどね(笑)。
 
内芝 この企画には、本当に素晴らしい声優さんやアーティストさんが参加して下さってます。
 
──実際、すごい豪華キャストですよね。
 
内芝 私も驚きました……「えっ、まだアニメ化も決まってないよ!」って。でも皆さん「この世界観、好きです」と仰ってくれたそうなんです。まだ根も葉もないプロジェクトを応援して下さるファンの皆さんだけじゃなく、参加して下さった皆さんの想いも含めると、終わりまで必ずやるのは当然ですし、なんとかアニメ化して恩返ししたいです。
 

今回のCDは、実は5/5メタバース・ライブを見るためのチケット!
 

 
──「十五少女」というコンテンツにはすごくいろんなピースが集まっていますが、その中でも重要なピースとして、「歌唱担当CV」としてクレジットされているmzsrzの歌声がありますよね。
 
内芝 間違いないですね。彼女たちの歌声というのは、このコンテンツ、この物語に一番適してるんですよ。「痛くて青い」ので。そこはすごくハマると思ったので、彼女たちに歌ってほしいと思いました。あと、ジュブナイルにはもう一つよく使われる法則があって、主人公が主人公以外にもたくさんいるんですね。「スタンド・バイ・ミー」も4人だし、「ぼくらの七日間戦争」や「あの花」(「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」)もそう。
 
──ああ、確かにそうですね。
 
内芝 優等生だけど運動神経が苦手な子とか、見た目にコンプレックスのある子とか、スポーツで挫折した子とか、いじめられてる子とか。見る人はその中の誰か、自分に近いキャラクターに感情移入するわけなんですが、「十五少女」も同じように、それぞれのエピソードで主人公になるさまざまなタイプの女の子たちがいて、mzsrzには彼女たちに憑依してもらっているんです。今回、歌はすごく重要な役割を担っているので、mzsrzの5人は15人分を歌っているんですよ。それにも意図があって、「どの曲をあなたが歌ってもいいですよ」というメッセージなんですね。それもあって、どのメンバーが各3人ずつ、どのキャラを歌っているかは公開してないんです。
 
──それは面白いですね。
 
内芝 受け取る側も、「私はこの子」と1人だけに共感するわけではなくて、「この子のこの部分と、この子ではこの部分と……」という風に部分的に共感できるところを見つけるんだと思うんですよ。そこがまたはじめに言った「伴走歌」というところで、確かにこの物語のために選ばれた曲ではあるけども、それがこの物語を通じて「あ、私の歌だ!」ってなった時に、どのキャラで歌うかというのは、別に一つじゃなくてもいいよというメッセージにもなってるんです。そこで、いろんなものに憑依できるmzsrzの歌声には作品とのシンパシーを感じました。みんながすごく多彩に表現できるので。
 
──5月5日にはオンライン・ライブが予定されています。これからはそういったイベントなどの仕掛けも絡めながら進んでいくということですか?
 
内芝 ライブに関しては、この先「僕らの歌」になった時にすごく必要になってくるものだと思ってるんですね。その時に、みんなで大合唱できれば一番いいと思うんですよ。だから本当に一番いいのは、ステージにはキャラだけ出てきて、客席のみんなが歌うという形。理想としてはそれなんですけど、やっぱりプロモーションして広めるというのはジュブナイル効果を高める上で大事なことなので、その一環としてライブというものもあるのかなと。それも接地面として、ということですね。あと、純粋にお客さんから「ライブを見てみたい」という声をたくさんいただいたので。各キャラの3Dモデルは制作済みなので、メタバースでの開催という見せ方という点でも楽しんでいただけるものになると思います。あと、5月5日のライブは、CD(初回限定)を購入していただくと参加に必要なIDが特典として付いてきて、ライブ自体は無料で見られるんです。
 
──それもすごいですね。
 
内芝 私たちとしては本当に、知ってもらう、見てもらうということが一番なので。このジュブナイル効果が必要な人がいるなら、その人たちに届くことが一番重要なんですよ。だから、逆に言えば、CDではなくチケットを売っているのかもしれないです。
 
──おお~、なるほど!
 
内芝 ライブのチケットを買ったらCDが2枚もついてきてラッキーというような感覚で買って頂くのもありかなと。そこは私がやっているわけでないので、いち一般人の意見ですが、テスト映像を見させて頂いた限り、すごくクオリティーの高いものに仕上がっていると思いました。内容もミニライブではなく、可能な限りしっかりやる予定です。
 
──それは楽しみですね。
 
内芝 それから(mu-mo限定で)『Tシャツ + 缶バッヂ + フォトブック』付きのセットもあるんですが、それもライブのチケットと思うと、フルカラー50ページのパンフとTシャツと缶バッヂと2枚組のCDをグッズとして買って、チケット代と合わせて1万円以内という値段なので、実は、高額商品なんじゃなくて最安商品のつもりなんです(笑)。
 
──缶バッヂについては、わざわざ「追って、缶バッヂSETも必ず発売しますので、全種購入は不要です」という注釈がついていてビックリしたんですが(笑)。
 
内芝 それも別に、私たちがいい人ぶりたいわけでも何でもないんですよ!ネットを見ると全種揃えたいという人も出てきているんですけど、私はファンに不要にたくさんのお金を使ってもらいたくはないんです。だって、お金も時には絶望につながりがちなので。ジュブナイルをやる以上、若い人たちもターゲットになってくるので、彼らにとって過剰になるような販売促進の施策は、今後も一切行わない方針です。
 
──「今後の展開は?」という質問も用意していたんですが、これまでのお話でほぼほぼ出ましたね。
 
内芝 そうですね。これからは今発表している楽曲が「僕らの歌」になっていく最重要のプロセスがついに始まって、物語がそのハブだと思うんですよね。どうか物語を終わりまで見届けて頂いて、人生のフェイバリットのひとつになれたなら、今後を生きる糧となる「あなたの歌」として聴き続けてほしいと願っています。この作品に関しては、社会や音楽業界における注目度やチャートよりも、各個人個人の「あなたの中の一生プレイリスト」のTOP10に入れるか?が重要なんです。作家の方々も本当に素晴らしい楽曲を提供してくれたので、それを今後の音声ドラマでしっかり流していきたいと思っています。
 
──なるほど、いろいろとよく分かりました。
 
内芝 「『十五少女』は何がしたいのかよく分からない」と言われることも少なくないですが、「分からない」んじゃなくて「始まってなかった」だけなんです。始まってもないのに「テーマソング」をリリースしたりして、結局、プレデビューを通常よりかなり長くやっていた感じですが、ここから接する方々にはかなり分かりやすくなると思います。もちろん、これまで応援してくださった方々が、逆に物足りなくなるような親切なコンテンツにもなりたくてもなれないので、そちらもご安心ください。
 
──分かりました(笑)。ありがとうございました!
 
 

 
1st ALBUM『SILENTHATED』
2023.3.22 ON SALE


 


【十五少女 OFFICIAL WEBSITE】
https://15sj.xyz/
 
【十五少女 SNS】
https://15shoujo.lnk.to/whoarethem
 
 
高崎計三
WRITTEN BY高崎計三
1970年2月20日、福岡県生まれ。ベースボール・マガジン社、まんだらけを経て2002年より有限会社ソリタリオ代表。編集&ライター。仕事も音楽の趣味も雑食。著書に『蹴りたがる女子』『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)。

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