翻訳
スノーボード・ビッグエア/スロープスタイルの二種目で、高校生のときから3大会オリンピックに出場してきたトップスノーボーダーにして現役大学生という、文武両道を実現する岩渕麗楽さん。これまで数々の厳しい局面をくぐり抜け、世界中に感動を与えて来た岩渕さんに、20年の競技生活から得たものからスノーボードという競技の魅力まで、幅広く語ってもらいました!
スノーボードが生活の一部すぎて、なんでやっているのか疑問に思ったことすらない

──スノーボードを最初に始めた経緯は?
岩渕 父が20代の頃ちょうどスノーボードブームで、その波に乗って始めたそうで、自分がハマっているものを子どもと、ファミリースポーツとして楽しみたいと思ったことがスタートですね。私は当時4歳で、そこから小学校上がるぐらいまでのスノーボードの記憶ってほぼないんですけど(笑)。
──小学生まで(笑)!では逆にいつ頃から遊びとしてでも、あるいは競技として意識をしはじめたのですか?
岩渕 当たり前に「この道を歩むものなんだ」って思っていたのが強いです。生活の一部すぎて、なんでやっているのか疑問に思ったことすらありませんでした。ただ小さい時には自分一人で滑れなかったものが、小学校に上がってから自分でちゃんと滑れるようになって、いろんなコースを回れたりすることが面白くなり、そこから向き合い始めたのかなと思います。
──13歳でプロテストに合格しました。当時この若さでプロになるのは珍しいことだったのですか?
岩渕 自分が知る限り、同年代はいなかったかな?と思います。
──そういう状況で、ご自身が「挑戦してみよう!」と踏み出したのはどんなきっかけからですか?

岩渕 私がスノーボードを始めた時はまだオリンピック種目になっていなかったんですけど、小学5年生、10歳のときに開催されたソチオリンピックから初めてスロープスタイル競技が採用されたことで意識し始めました。それから同じ年の春、初めて海外の大会に出たんです。当時、国内大会では優勝できていましたが、初めて出た海外の大会で、外国のジャンプ台のスケールの大きさだったり、海外の選手のうまさだったり、日本と海外での壁をすごく感じたんですよね。そこもひとつのきっかけでした。世界に出る前の最初のステップという感じです。
──アマチュア競技としてオリンピックに出る種目も多いと思いますが、まずプロになることから、なのですね。
岩渕 はい。アマチュアとプロの境界線があるので、プロになることが世界大会に出場できる唯一のルートなんです。
──そこからどんどん好成績をあげ、16歳から3大会連続でオリンピックに出場しました。なかでも2022年の北京オリンピックビッグエアでは、左手を骨折した状態で女性史上初となるトリプルコークに挑み、多くの人に勇気と感動を与えてくれましたね。今あの挑戦を振り返って、いかがですか。
岩渕 オリンピックって、本当に予想外のことしか起こらないんです。初めて16歳で平昌に出場したときは運良くトントン拍子に進めたところがあって、自分の中でちょっと思い入れが薄い部分がありました。でも次の北京は、より手前から準備して向かっていったので、「え、ここで骨って折れるんだ?」と思いましたけど、そこからは本当にできることを探していた数日間でしたね。怪我しているかしてないかはあまり関係なく、『結果を出せるか出せないか』しか考えていませんでした。だからこそ、メダルを獲れなかったことばかり考えてしまってたんですけど。それに反して世間の反応がすごくあったかくて。「こういうリアクションもあるんだ!」って、びっくりした記憶が一番残っています。あの3本目にやったトリックは、ずっと2年前の夏くらいからオリンピックに向けて練習していましたが、技のリスクや難易度があってなかなかオリンピックの手前の練習でやることができなくて。ある意味ずっとできるタイミングを探し続けてたからこそ、そこにオリンピックがハマったっていう感じで踏ん切りをつけられたんですよね。「来た!」っていう。
──ぶっつけ本番とまでは言いませんが、絶対に失敗したくない局面で今おっしゃったような「試す」ことができるのは、スノーボード特有のカルチャーでもありますか?完璧に技を身につけ、それを再現することにとらわれていない、というような。

岩渕 そうですね、「挑戦してみよう!」みたいなことって、多いかもしれないです。なかなか普段の練習では見たことないけど、本番成功させて、後から聞いてみたら「あれが初めてのトライだったんだよね」なんて人もいましたから。
──三度目の挑戦となった今年のミラノ・コルティナオリンピックは、20年目の節目ということでしたが、前十字靭帯断裂という、先ほどもおっしゃっていた「予想外」がここでも起きてしまいました。
岩渕 そうですね。靭帯が断裂した時って、その遠征の最終日の最後の1分くらいのことでした。切れた驚きと、すごくいい感じに上がってきていたタイミングだったので、余計に間の悪さを感じて、複雑な気持ちでした。
──それでも出場するに至るまでにはどんなやりとりがあったのでしょうか。
岩渕 その時に診ていただいた整形外科の先生は多分、行けるとは思っていませんでしたね。「もう諦めなきゃいけないんだろうな」という雰囲気の話をしていて。でもコーチのところに行ってその話を持ち帰った時には「出られない」という話題が一切なくて。誰もこの状態で行けるか行けないか分からなかったからなんですけど、その結果として気づいたらミラノにいた、みたいな感じです(笑)。
──あえてネガティブな選択肢を除外してしまったわけですね。それにしても、挑戦のたび何らかの逆境が待ち受けている状況に対して、ご自身でどう向き合ってきましたか。
岩渕 ミラノに関しては、靭帯が切れてからオリンピックまで4ヶ月くらいあって、その期間は本当に今までで一番心が折れそうになっていました。痛みもそうですけど、どうしてもうまく滑れないとか、ただの練習さえこなせない毎日に焦りもあって、今までにないメンタルコントロールをしなきゃいけない、そこに難しさを感じ続けていました。正解がわからなかったがゆえに4ヶ月を長く感じて。乗り切れたというより、本当にその日その日を一生懸命こなしてたらオリンピックを迎えていた感じでしたね。
──それを踏まえたうえで、ご自分の中では最大限やりきった満足感はありましたか。あるいは、どんな状態であれメダルを獲りたかったという悔しさが大きいのでしょうか。
岩渕 それは本当に半々くらいあって。4ヶ月っていう短くはない期間だからこそ、靭帯ないなりに感覚を合わせに行こうとしてた部分もあったので。どうしてもそうなる前の感覚が残ってるから、もっとできたはずなのにって思ってしまうーー、できるわけないんですけど。だから滑りには悔しさがどうしても残っちゃうんですけど、本当にスロープスタイルで滑り切れてよかったなっていう気持ちもあるので。
──ここまで話していただいた数々の経験を踏まえて、改めてスノーボードの魅力とは?
岩渕 自然相手のスポーツなので、どうしても実力だけでどうにもならない時があり、ああいうもどかしさだったり、自分でどうしようもできないことに対しての難しさは今でもずっと持ち続けています。だからこそ、そこに合わせて行けた時の達成感があるんです。私はジャンプして空中にいる、あの滞空時間が本当に好きなので、そこに魅せられています。大変なことは多いですけど、その一瞬のために頑張れるっていう。それに自然だから同じコンディションがないので、いつも違ったことをする楽しさは常にあり続けるかもしれません。
より集中する環境が整い、今のスノーボードライフを楽しんでいる。それを滑りで皆さんにお見せしたい

──プロスノーボーダーというのはどのくらいの認知度なのでしょうか。
岩渕 昔はスキー場にいてもスキーの方が半数以上という印象でしたが、最近はスノーボーダーの方もすごく多いですし、なおかつフリーライド系の人もすごい多いですね。小さいときはやっていなかった友達が大人になって始めたり。やっぱりオリンピックを重ねるごとに人口は増えている印象を受けます。
──趣味で始める方の、参入障壁のようなものとしてはいかがですか?
岩渕 趣味では入りにくいかもしれないです。スキー場に行くのにアクセスが悪いですし、基本的に車が必要です。何より道具にかかるお金が割と高額なので。だからハードルは高いと感じます。だからこそ大人になって始める人が多いのかな?とも思います。
──そうすると、大人になってから始めて競技者として成功する例も多いですか?
岩渕 私が中学生の時に憧れていたような当時トップを走っていた選手たちは20歳越えてから始めたような選手も多いですけど、その下の世代はもうみんな私と同じように4、5歳から、始めた時の記憶がないような子たちばかりです。
──小さい頃からやってきて、ご自身がロールモデルとする選手はいますか?
岩渕 一歳上のアメリカ代表のスノーボーダーで、ヘイリー・ラングランドという選手がいて、その子の滑り方やポジティブなマインドがめっちゃ好きでずっと憧れていました。
──ポジティブなマインドといえば、スノーボードは、ほかの競技に比べて、ピースフルなイメージがあります。難度の高い技に挑戦した選手を讃える姿もそうですが、先ほど話されていたように成功したことのない技に挑戦できてしまう軽やかさであるとか。勝ちへのこだわり方が少し違う印象です。

岩渕 いい意味で、個人の技が評価されるから人を気にしていてもしょうがないからかもしれません。今の日本はアスリートとして取り組んでいる子が多いけれど、現役トップを行く海外選手などは純粋に好きでスノーボードを始めた人たちだから、競技の概念がそんなに強くないです。厳しく教える文化もないですし、私自身も競うことの緊張感があったのって学校の運動会までですよ(笑)。緊張感のベクトルが違うんです。
──25年2月からエイベックスと契約しました。最初のイメージとあわせて、その後どんなことが変わったかなど、教えてください。好きなアーティストもいれば!
岩渕 最初は、芸能界というイメージがあったのでスノーボードと結びつかなくて、びっくりしましたが、私自身はXGが好きで聴いているのもあって、この環境を面白いなと感じています。変化としては、よりスノーボードに集中できる環境を整えてもらったということです。メディアの対応などスノーボード以外のことをどうすればいいか分からなくて大変に思っていたので、そういうことを担っていただけて、自分がやるべきことにしっかり向き合えています。
──今後やってみたいことや、目標はありますか?

岩渕 好きで始めて今も続けてはいるんですけど、ここだけで終わっちゃうのもな……って。ミラノ・コルティナオリンピックを20年の節目だなって思ったのも、20年間何かを頑張り続けられたことが自分の中ですごく大事な経験になっているから。それを続けてこれた自分に対して自信を持って、大学で勉強していることをよりつき詰めて行ったりですとか、これ以外のキャリアも作っていきたいと考えています。
──それをスノーボードに対して還元していく、というような?
岩渕 そうですね。競技者としてすごく長くできるスポーツではないので、その先のキャリアの幅を広げたいなと思っているので、スノーボードも勉強もがんばりたいです。
撮影 長谷英史

ライター
ユカワユウコ
映画、演劇、展覧会、コンサートまでカルチャー全般のPRや制作にフリーで携わる傍ら、取材記者として各種イベントに出没するハリネズミ愛好家。